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執着を断ち、静けさの岸へ至れ


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■引用原文(ダンマパダ 第二〇章「道」第285偈)

自己の愛執を断ち切れ、池の水の上に出て来た秋の蓮(はす)を手で断ち切るように。
静かなやすらぎに至る道を養え。めでたく行きし人(=仏)は安らぎを説きたもうた。


■逐語訳

  • 自分自身の愛執(あいしゅう)――すなわち対象への愛着・執着――を断ち切れ。
  • それは、秋の澄んだ池に咲いた蓮の花を手で摘み取るように、静かに、しかし明確に行うべきものである。
  • **やすらぎ(涅槃)**に至る道を養い、育みなさい。
  • かつてその道を完成させた**めでたき人(仏陀)**は、まさにこの「安らぎの境地」を私たちに説かれたのである。

■用語解説

用語解説
愛執(あいしゅう)対象(人・物・状況)への過度な愛着。仏教では煩悩の代表例とされる。
秋の蓮清らかでありながらも、あっという間に散るはかない象徴。美しさと無常の象徴でもある。
静かなやすらぎ煩悩や執着から完全に解放された状態。仏教でいう「涅槃(ニルヴァーナ)」。
めでたく行きし人(如来)悟りに至った仏陀。彼の歩んだ道が私たちに示すべき模範である。

■全体の現代語訳(まとめ)

心の中に根を張る愛着や執着を、秋の蓮を摘み取るようにやさしく、しかし確かに断ち切りなさい。
そして、静かで揺るがない「やすらぎの境地」に向かって心を整え、日々の実践を積むのです。
それは、仏陀が実際に歩み、説き示された“安らぎの道”であり、苦しみから自由になるための真の道でもあるのです。


■解釈と現代的意義

この偈は、内面の静寂と自由は「執着の断捨」によって得られるという、仏教の核心的教えを象徴しています。
「欲しい」「手放したくない」「失いたくない」といった執着の心は、一見やる気や情熱にも見えますが、実は苦しみと不安の温床です。
それらを柔らかに見つめ、そっと断ち切ることで、私たちは外的な条件に依存しない、真の安らぎと自律性を得ることができます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
過度な執着のリスク成果・称賛・立場などに執着しすぎると、冷静な判断ができなくなり、かえって失敗や対立を招く。
戦略的撤退・決断力執着を断ち切ることは、時に“手放す力”でもある。撤退や見直しができる柔軟性は、成功の鍵。
感情的なバイアスの排除執着があると、物事を公平に見られず、判断が偏る。蓮を摘むように、穏やかに執着を見極めて取り除く姿勢が求められる。
静けさを育む習慣すぐに結果を求めず、心を整える日々の習慣(瞑想・日記・内省など)が、持続可能なリーダーシップを支える。

■心得まとめ

「執着を手放す者だけが、静けさの岸にたどりつく」
美しいものに心惹かれるのは自然なこと。だが、それに縛られれば心は不安と迷いに覆われる。
秋の蓮をそっと摘むように、自らの執着を静かに断ち切っていこう。**その先にあるのは、騒がしさに負けない“深い安らぎ”**である。

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