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如来の心にある二つの想い――静けさと孤独の悦び


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📖原文(日本語訳)

「如来なる仏はこの世で自ら現われたものであり、闇を除き、彼岸に達した大仙人であるが、
かれに二つの思いがしばしばはたらきかける。
(一つは)安穏という思いであり、(他の一つは)人を離れて孤独をたのしむことと結びついている。」

— 『ダンマパダ』第21章「如来」第16節


🔍逐語訳・用語解説

語句解説
如来なる仏真理を悟り、教えを説く者。ブッダそのもの。「かれが来た(如)道を、われも如くして行く」という意味をもつ。
自ら現われたもの他者に教えられることなく、自らの力で悟りに達した存在(=正覚者)。
闇を除き無知や煩悩の闇を滅し、人々に智慧の光をもたらすこと。
彼岸に達した苦・無明・輪廻を越えて悟りの境地(涅槃)に達したこと。
大仙人精神的修行において完全に成就した偉大な覚者の意。
二つの思いブッダであっても、内面において湧き上がる思考・傾向があることの描写。
安穏(あんのん)外的・内的に一切の動揺がない平安な境地。
孤独の悦び社会的喧騒や人間関係から離れ、自己と深く向き合う静かな喜び。

💡全体の現代語訳(まとめ)

如来とは、真理を悟り、この世に自ら現れ、
無知と煩悩の闇を払って人々を導き、
すでに彼岸(悟りの境地)に達した偉大な覚者である。

しかし、そのような如来でさえも、
しばしば心に浮かぶふたつの想いがある――
ひとつは「安らぎを求める想い」、
もうひとつは「人を離れてひとり静かに過ごしたいという想い」である。


🧠解釈と現代的意義

この章句は非常に興味深く、仏陀という“完全者”ですら、
内面に「静けさを求め、孤独に身を置きたい」という二つの心の傾向が生じていたことを明かしています。

これは、悟りを得た者が社会や衆生の中に関わる使命を果たしながらも、
同時に、内面的静寂と孤独な集中の価値を大切にしていたことを意味しています。

この姿勢は、現代の私たちにも響きます。
社会的責務と個の内省、その両立にこそ人間としての成熟があるという教えです。


💼ビジネスにおける解釈と応用

視点応用例
リーダーの心のバランス外に向かって人を導く立場であっても、内なる静けさや独立した思考の時間が必要不可欠。
内省の重要性日々の忙しさの中でも、あえて一人の時間を持ち、自分の思考・感情を整理することが、次の行動の質を高める。
外向と内向の調和常に他人の期待に応えることだけでなく、自分の内なる声に従うことで本当の持続可能なパフォーマンスが生まれる。
自己メンテナンス周囲のために尽くす立場の人こそ、自分自身の精神的平穏を定期的に取り戻すことが重要。

🧾心得まとめ

「導く者もまた、静けさと孤独を必要とする」

如来のような完成者であっても、
平安を求め、孤独を愛する――
それは、真に偉大な者が持つ静かな本性である。

社会の中で尽くしながら、
自分自身を保ち続けるには、
心を鎮め、ひとりの時間を大切にすることが、
何よりも深く、確かな力となる。

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