孟子は、舜がまだ歴山(深山)に住んでいた頃、木や石に囲まれ、鹿や猪と遊ぶような生活を送っていたことを語った。その生活は、周囲の野人たちとほとんど変わらなかった。しかし、舜が他の野人たちと異なる点は、善い言葉や善い行いに触れると、それに全力で進んで行ったことだ。その進取の心は、まるで揚子江や黄河の水を切って落として流れ出すように勢いがあり、誰もその進みを止めることはできなかった。舜の偉大さは、自然の中で育ったにもかかわらず、善に対して常に前向きで、行動に移す力を持っていたことにある。
「孟子曰(もうし)く、舜の深山の中に居るや、木石と居り、鹿豕(ろくし)と遊ぶ。その深山の野人に異なる所以の者は、幾んど希なり。其の一善言を聞き、一善行を見るに及びては、江河を決して沛然たるが若く、之を能く禦ぐこと莫きなり」
「舜が深山で木や石と共に過ごし、鹿や猪と遊んでいたころ、彼の生活は周囲の野人と大差はなかった。しかし、彼が他の野人たちと異なるのは、善い言葉を聞き、善い行いを見た時に、その力強さはまるで揚子江や黄河の水が決壊して勢いよく流れ出すように、誰にも止めることができなかった点です」
舜の偉大さは、ただ善を知るだけでなく、それを全力で追い求め、実行に移す力強さにある。
※注:
「深山」…歴山。舜がまだ見出されていなかった頃、自然の中で農業をしていた場所。
「鹿豕と遊ぶ」…鹿や猪と共に過ごし、自然の中で楽しんだ日々。
「江河」…揚子江と黄河のこと。大きな川を象徴として使っている。
「沛然」…水が勢いよく盛んに流れる様子。
「禦ぐ」…止める、抑えること。
『孟子』 滕文公章句(上)より
1. 原文
孟子曰、舜之居深山之中、與木石居、與鹿豕遊、其所以異於深山之野人者、幾希。及其聞一善言、見一善行、若決江河、沛然莫之能禦也。
2. 書き下し文
孟子曰(いわ)く、舜(しゅん)の深山(しんざん)の中に居(お)るや、木石(ぼくせき)と居り、鹿豕(ろくし)と遊(あそ)ぶ。其の深山の野人(やじん)に異(こと)なる所以(ゆえん)の者は、幾(ほと)んど希(まれ)なり。其の一善言(いちぜんげん)を聞き、一善行(いちぜんこう)を見るに及(およ)びては、江河(こうが)を決(けっ)して沛然(はいぜん)たるがごとく、之(これ)を能(よ)く禦(ふせ)ぐこと莫(な)きなり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 「舜之居深山之中、與木石居、與鹿豕遊」
→ 舜がかつて深い山奥に住んでいたときは、木や石と共に暮らし、鹿やイノシシと遊んでいた。 - 「其所以異於深山之野人者、幾希」
→ その当時、舜がただの山中の野人と異なる点は、ほとんどなかった。 - 「及其聞一善言、見一善行」
→ しかし、一つのよい言葉を聞き、一つのよい行いを目にしたとたんに、 - 「若決江河、沛然莫之能禦也」
→ それはまるで堤防を決壊した大河のように、一気にあふれ流れ出し、誰もそれを止められない勢いで善に向かって進んだ。
4. 用語解説
- 舜(しゅん):古代中国の伝説的な聖王。堯の後を継いだ理想の君主として語られる。
- 木石と居り、鹿豕と遊ぶ:自然そのものと共に暮らし、動物と同じような生活をしていた様子。
- 野人(やじん):文明から離れた山中の人。未開・粗野な人の意味。
- 幾希(きき):ごくわずか、ほとんど無いという意。
- 善言・善行:徳のある言葉、道義にかなった行為。
- 決江河(けつこうが):堤を切った大河の奔流。強烈で止められない流れの比喩。
- 沛然(はいぜん):水が豊かにあふれるさま。勢いよく流れ広がる様子。
- 禦ぐ(ふせぐ):防ぐ、止める、阻止する。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう語った:
「舜が深山に住んでいた頃は、まるで自然の中で動物と共に生きる一人の野人のようだった。
その生活ぶりは、他の山中の人々とほとんど変わらないように見えた。
しかし彼が一つの善い言葉を聞き、一つの善い行いを見たとたん、それはまるで大河の堤が決壊したように、善へと向かう勢いが止められなくなったのだ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、人間の中に生まれつき備わっている“善に向かう力”の爆発的可能性を説いています。
- 人の価値は“現在の状態”ではなく“可能性”にある
見た目や境遇がどれだけ素朴でも、善い刺激さえあれば一気に変わりうる力が誰にでもある。 - 善の力は、外からの“感化”によって目覚める
正しい言葉、善い行いとの出会いが、人の中に眠る良知・良能を一気に解き放つ。 - 教育とは、“堤を決する一言”となるような出会いをつくること
人の成長は、量的蓄積ではなく、ある一点で一気に変わる“質的転換”である。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
「一言が人を変える」──フィードバックと出会いの力
- 部下の成長は、「的確な一言」「感銘深いロールモデル」との出会いで急加速することがある。
- 評価よりも、“善意と敬意に満ちた指摘や称賛”が変化を生む鍵になる。
「潜在能力の開花は、一瞬の感化から」
- 社員が見せる日常的な平凡さの裏に、舜のような“未発の天才”が眠っている可能性を信じる視点が必要。
- 教育・指導者の役割は、火種に着火する風である。
「場」と「人」が変革のトリガーになる
- 成長のきっかけは、システムより“人と人の出会い”にある。
- 研修・1on1・雑談の中にこそ、「決江河」の契機が潜む。
8. ビジネス用の心得タイトル
「善は爆発する──“一言”が人の可能性を解き放つ」
この章句は、「人間の可能性とは、目に見える現在の姿だけでは判断できない」という深い信念を伝えています。
そして、“良知の目覚め”は時間ではなく、ある決定的なきっかけによって一気に開花するのだという孟子の人間観が、現代の教育・育成・マネジメントにも通じる力を持っています。
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