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他人を責める前に、自分を照らせ


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📜 引用原文(日本語訳)

他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見がたい。ひとは他人の過失を殻のように吹き散らす。しかし自分の過失は、隠してしまう。狡猾な博師が不利な骰の目をかくしてしまうように。
——『ダンマパダ』第18章「汚れ」第252偈


📘 逐語訳

  • 他人の過失は見やすい:他人の誤りや欠点にはすぐに気づく。
  • 自己の過失は見がたい:自分の誤りは直視しにくく、見落としがち。
  • 殻のように吹き散らす:些細な他人の欠点でも大げさに吹き飛ばす(非難する)様子。
  • 自分の過失は隠してしまう:自分のミスは見せず、覆い隠す傾向。
  • 狡猾な博師が不利な骰の目をかくすように:博打の巧者が不利な目(失敗)を誤魔化すように、自分に都合の悪いことを意図的に隠す比喩。

🧾 用語解説

用語意味
過失道徳的・実践的な誤り、失敗、非。
些細で吹けば飛ぶようなもの。他人の過ちがそれほど小さくても、吹き飛ばすほど強く批判すること。
博師賭博の熟練者(ずる賢い博打打ち)。
骰の目サイコロの出目。運の象徴。不利な目=都合の悪い事態。
狡猾(こうかつ)知恵があるが不誠実でごまかしに長けている性質。

🌏 全体の現代語訳(まとめ)

人は他人の失敗や欠点には敏感だが、自分の間違いや欠陥には気づきにくいものだ。
他人の過失は小さなものでも誇張して責め立てるのに、
自分の過失はまるでずる賢い博打師が不利なサイコロの目を隠すように、
そっと覆い隠してしまう――仏陀はその人間の弱さを静かに指摘する。


💡 解釈と現代的意義

この偈は、自己認識の欠如と他者批判の危うさを厳しく戒めるものです。

人は、他人の問題にはすぐ反応できるのに、自分自身の欠点には無自覚だったり、意図的に目を背けてしまいます。
仏陀はここで、「心の汚れとは、自分をごまかすことにもある」と教えています。

このような態度は、誤った優越感や不当な批判、そして自己欺瞞へとつながり、真の成長を妨げる最大の障害となります。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点問題例・適用
フィードバック文化他人への指摘ばかりで、自分の振り返りを怠る組織では、真の改善が進まない。
マネジメントリーダーが部下のミスに厳しく、自分の判断ミスを隠すなら、組織全体の信頼が崩れる。
自己評価「自分はできている」と過信し、客観的視点を失うと、成長の機会を逃す。
対話と信頼自分の非を認め、透明性を保てる人こそ、周囲から信頼され、チームを導ける存在となる。

🧭 心得まとめ

「他人の誤りに敏くなる前に、自らの目を澄ませよ」

小さな欠点を非難することは簡単だ。
だが、自分の過失を認め、直視し、改めることこそが真の勇気である。
仏教の「清らかさ」は、ただ悪を避けることではなく、己を正直に見つめることから始まる。


この偈は、自己省察と誠実さの本質を鋭く捉えた珠玉の教えです。

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