斉の宣王は、孟子の言葉に感銘を受け、こう言った。
「良い言葉だ」
すると孟子はすかさず問い返す。
「それならば、なぜ実行なさらないのですか?」
これに対し、宣王は少し逃げ口上のように答える。
「私はひとつ悪い性癖があって、それは“財貨を好む”ことなのだ」
これを受けて孟子はこう説いた。
「財を好むこと自体は、悪いことではありません。
昔、周の公劉という君主も、財貨を好んだといいます」
孟子は『詩経』の一節を引用し、公劉の行いを紹介する。
公劉の財の扱い方
- 穀物を野に積み、倉に蓄え、
- 乾飯(干し米)を袋に詰めて人々に持たせ、
- 民を安んじ、国家の将来の繁栄を考えた
- 弓矢・盾・槍・斧などの武器も整え、
- 十分な準備のもとに新天地への出発(遷都)を開始した
重要なのはここでの「財貨」は民のための備えとしての富であり、戦や移住にも耐えられる生活基盤の整備だったということです。
孟子は続けて断言する:
「王よ。もし、あなたが本当に財を好まれるのなら、
それを民とともに好み、民のために用いるようになされば、
王者として何の差し支えもありません」
この章では、孟子の柔軟で現実的な王道観が際立っています。
「財を好むのは悪ではない。しかし、それを誰のために、どのように用いるかが問われる」
この視点は、現代の企業経営や政治指導にも深く通じる普遍的な倫理です。
原文
王曰:「善哉言乎。」
曰:「王如善之,則何為不行?」
王曰:「寡人有疾,寡人好財。」
對曰:
「昔者公劉好財。詩云:乃積乃倉,乃裹餱糧,於橐於囊,思戢用光,弓矢斯張,干戈戚揚,爰方啓行。
故居者積倉,行者裹糧也,然後可以爰方啓行。
王如好財,與百姓同之,於王何有?」
書き下し文
王曰く、「善いかな、言や。」
曰く、「王もし之を善しとすれば、何を為して行わざるや?」
王曰く、「寡人、疾有り。寡人、財を好む。」
対えて曰く、
「昔、公劉(こうりゅう)も財を好めり。詩に曰く:『これを積み、これを倉し、
これを餱糧(こうりょう)に裹(つつ)み、
橐(たく)に、囊(のう)に収め、
これを戢(おさ)めて光(おお)いに用いんと思い、
弓矢これを張り、干戈・戚(しゅう)を揚げ、
ここにおいて道を開きて行く。』ゆえに、居る者は倉を積み、行く者は糧を携う。
その後にこそ、出発が可能となる。王もし財を好むとも、百姓と之を同じうすれば、王たるに何の不足があろうか?」
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- **王:「良い意見だ。」
- 孟子:「それを良いと思うのなら、なぜ行動しないのですか?」**
- 王:「私は性分に欠点があって、財(お金)が好きなのだ。」
- 孟子:「かつての公劉も、財を好んでいました。『詩経』にもこうあります:
– 穀物を蓄え、倉に備え、
– 旅行者の糧食を用意し、袋に詰め、
– これを蓄えて、いざという時に大いに活用しようと考え、
– 弓矢を張り、武具を掲げ、
– そのうえで進軍の道を開いた。
つまり、住む者には倉を満たし、出て行く者には糧食を持たせてから、
初めて大事業に乗り出したのです。
王よ、あなたが財を好むなら、民と共にその財を分かち合えばよいのです。
それができれば、王たるに何の問題もありません。」
用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
寡人 | 王が自称する謙譲語。「徳が寡(すく)ない人」の意味。 |
餱糧(こうりょう) | 長期保存用の携帯食。戦や遠征に備える糧食。 |
橐(たく)・囊(のう) | 食糧などを入れる袋。遠征や旅に備えて用意される。 |
戢(しゅう)める | 蓄える・抑えるの意。慎みながら備える意味。 |
干戈・戚(かんか・しゅう) | 武器。干は盾、戈は矛。戚は斧系の武器。 |
爰方啓行(えんぽうけいこう) | 道を整備し、出発の準備をすること。国家的な進軍や遠征を指す。 |
全体の現代語訳(まとめ)
斉の宣王が孟子に言った:
「君の話は素晴らしい。」
孟子は答えた:
「それを良いと思うのなら、なぜ実行しないのですか?」
王は言った:
「私はお金が好きで、それが障害になっているのだ。」
孟子はこう諭した:
「財を好むことは悪いことではありません。
かつての公劉もそうでした。
彼は財を好みながらも、それを民と分かち合い、
蓄え、備え、旅人や兵士にも糧を分け与え、
全体として国家を動かす準備をしていたのです。
ですから、王も財を好むのであれば、
それを“民と共有”し、“共に活かす”なら、王としての正しさにかなうのです。」
解釈と現代的意義
この章句は、「個人の欲望を否定することなく、それを公益に転化せよ」という孟子の極めて柔軟で現実的な道徳観を示しています。
- 欲望を抑え込むのではなく、どう“共有と循環”に活かすかが肝心。
- 公劉のように、「財を溜め込む」のではなく「民の備え」として蓄えることで、個人的な好みが社会的善に転化される。
これは現代にも通じる、“私的な好みを公的価値へ接続するリーダーシップ”のあり方です。
ビジネスにおける解釈と適用
「私的な好みを“組織的価値”に昇華せよ」
- たとえば、経営者が「数字が好き」「効率が好き」であっても、
それを社員の成長、生活の安定、顧客の満足と結びつけられれば、組織の繁栄につながる。
「蓄積は“備え”と“共有”のために」
- 財やリソースを蓄えること自体は悪くない。
問題は、それを誰と分かち、何に使うか。
「行動こそが誠意の証」
- 「いい話だ」と言って終わるのではなく、
実行に移す意思を問うのが真のリーダーシップ。
まとめ
「欲望を昇華し、共に富む──“共有する王道”が組織を導く」
この章句は、個人の嗜好や志向を否定せず、それを“共益”に昇華させることで、
個と公の一致、リーダーの自己超越を図るという、非常に現代的な視座を与えてくれます。
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