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自らの非を見て、心から悔い、改める勇気を持て

真の反省とは、他人に言われて気づくことではなく、自ら省みることにある

孔子は、世の中を見渡してこう嘆いた。
「もう、仕方のないことなのだろうか。私は、自分の過ちに自ら気づいて心から悔い改める者に、
いまだかつて出会ったことがないのだ」と。

この言葉は、ただ過ちを「謝る」ことではなく、内面からその誤りを見つめ、自らの責任として深く反省し、それを行動に変える姿勢を求めるもの。
孔子がここで強調しているのは、「外から指摘されて気づく」のではなく、「自ら気づき、自ら訴え、悔いる」ことの難しさと、その希少さである。

つまり、「自分の誤りを率直に見つめ、それを口に出せる」誠実さこそが、君子たる者の基本であり、
それが欠けている世の中に対して、孔子は深いもどかしさを感じていたのだ。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、已(や)んぬるかな。吾(われ)は未(いま)だ能(よ)く其(そ)の過(あやま)ちを見(み)て、内(うち)に自(みずか)ら訟(うった)うる者を見(み)ざるなり。

他人に咎められる前に、
自らの過ちに気づき、悔い、変えられる人になろう。


注釈

  • 已んぬるかな…「もはやどうしようもないことなのか」という強い嘆き。
  • 其の過ちを見て…自分自身の誤りを見つめること。
  • 内に自ら訟むる…自分自身を訴える=内省し、心から悔い、正そうとすること。
  • 見ざるなり…孔子はそうした人を見たことがないと嘆いている。つまり、極めて稀な徳とされている。

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