— 自薦が競争と驕りを招くなら、慎むべきである
貞観十三年、太宗は側近たちに、こう問いかけた。
「太平の後には乱が起こり、乱の後には太平が来ると聞く。今は隋末の大乱を経た後で、ちょうど太平の時代にある。
このような時に天下の安寧を保つには、ただ賢才を登用できるかどうかにかかっている。だが、お前たちは賢人を見いだせず、私もまた世の隅々まで知っているわけではない。
だから日々、優れた人物を得られないまま、空しく時が過ぎている。――いっそ、自薦を許してはどうかと思うのだが、どうだろうか?」
この問いに対して、魏徴は次のように反対した。
「人を知ることが智、自分を知ることが明だと言われます。人を見極めるのが難しいのと同様、自分を正しく知るのもまた容易ではありません。
愚かな者ほど、自分は能力があり善良だと信じて疑わず、それを誇りにします。そんな者たちが自薦を許されたら、競い合って我先にと名乗り出るでしょう。
その結果、傲慢と争いの風潮が広がるだけで、まともな人材登用など望めません」
魏徴の反対によって、この案は実行に移されなかった。
ふりがな付き引用
「貞(じょう)観(がん)十三年(じゅうさんねん)、太宗(たいそう)、侍臣(じしん)に謂(い)いて曰(いわ)く、
『聞(き)くに、太平(たいへい)の後(のち)には必(かなら)ず大乱(たいらん)有(あ)り、大乱の後には必ず太平有り。
大乱の後(のち)、卽(すなわ)ち是(こ)れ太平の気運(きうん)なり。能(よ)く天下(てんか)を安(やす)んずる者(もの)は、惟(ただ)賢才(けんさい)を得(え)て之(これ)を用(もち)うるに在(あ)り。
公等(こうとう)、賢(けん)を知らず、朕(ちん)また徧(あまね)く識(し)る可(べ)からず。日(ひ)を復(ふく)して一日(いちじつ)、人(ひと)を得(え)ざるの理(ことわり)なり。
今(いま)人(ひと)をして自(みずか)ら挙(あ)げしめんと欲(ほっ)す。事(こと)に於(お)いて如何(いかん)』。
魏徵(ぎちょう)對(こた)えて曰(いわ)く、
『人(ひと)を知(し)る者(もの)は智(ち)にして、自(みずか)らを知(し)る者は明(めい)なり。
人(ひと)を知(し)るを以(もっ)て難(なん)と為(な)すが、自(みずか)ら知(し)るも亦(また)易(やす)からず。
且(か)つ愚暗(ぐあん)の人(ひと)、皆(みな)能(のう)を矜(ほこ)り、善(ぜん)を伐(ほこ)る。長(なが)く澆競(ぎょうきょう)の風(ふう)を致(いた)す。其(そ)れ自(みずか)ら挙(あ)ぐるを令(ゆる)すべからず』。」
注釈
- 太平(たいへい)と大乱(たいらん):歴史は安定と混乱を繰り返すという思想。「治乱興亡」の循環観に基づく。
- 自薦(じせん):自らを登用するよう名乗り出ること。儒教的観点では慎むべき行為とされる。
- 知人者智、自知者明(ちじんしゃち、じちしゃめい):『老子』由来の有名な言葉。自分自身を知ることの難しさを説く。
- 澆競の風(ぎょうきょうのふう):うわべだけ飾り立て、互いに争う風潮。末世的混乱を指す。
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