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心が騒げば、修養は実らぬ


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📖 原文引用(日本語訳)

修行僧が、心が高ぶりざわざわして、恣に怠りなまけて、外のことがらに心を向けているならば、戒しめと精神統一と知慧とは完成しない。
――『ダンマパダ』第六章「戒しめ」第十三節


📝 逐語訳

  • 修行者の心が、慢心や不安で高ぶりざわざわしているとき、
  • 欲望や怠惰に流されて、自分を律することを怠っているとき、
  • 関心が外界(物質・名誉・他人)にばかり向いているならば、
  • どれほど努力しているように見えても、
  • 戒(行動規律)、定(精神統一)、慧(洞察智)は完成しない。

🧩 用語解説

  • 心が高ぶる(ウッダッチャ):浮ついた心・誇り・焦燥・緊張など、心の落ち着きのなさ。
  • ざわざわしている:内面が騒がしく、集中力が乱れている状態。
  • 恣(ほしいまま)に怠る:欲望のままに生き、自己規律を放棄していること。
  • 外のことがらに心を向ける:自己の内面よりも他人の言動、物欲、評価などに囚われている状態。
  • 完成しない:三学(戒・定・慧)が機能せず、成熟に至れないこと。

🪞 全体現代語訳(まとめ)

心が乱れ、怠け、外ばかりを気にする生き方をしている限り、どれほど修行の知識や形式が整っていても、人格としての完成は訪れない。
戒を守ることもできず、心を静めることもできず、真理を見抜く力も育たない。
「静けさ」「自律」「内省」こそが修養の土台であることを、この句は警告しています。


🌏 解釈と現代的意義

この教えは、「学んでいるつもり」「努力しているつもり」になりがちな私たちに対し、**本質を見失っていないか?**と問いかけています。

現代社会では、情報・他人の目・成果への焦りが心をざわつかせ、本来磨くべき「内なる静けさ」が失われがちです。
しかし、外ばかりに心を向けていては、真の成長は訪れません。
静かに、自律的に、自らの心と向き合う時間を確保することこそが、成長と完成の道なのです。


💼 ビジネスにおける解釈と応用

観点実践例
内面の静けさが成果を生むマルチタスクや他人の評価に翻弄されるよりも、落ち着いて一つひとつの業務に向き合う方が結果的に高い成果につながる。
自己管理力(セルフコントロール)不安や苛立ちに流されない人は、組織内で安定した役割を果たせる。
過剰な外向性への警告情報過多・SNS・競争などに過度に晒されることで、自己を見失いがち。時に意図的に内にこもる時間も必要。
学びと行動の一致学んだ知識や価値観が実生活・業務に結びついていなければ、学びは空論に終わる。

🧠 心得まとめ

「心が整わねば、何を学んでも身につかず」

知識を蓄えても、心が浮つき、自律を失い、外ばかりを気にしていては、人格としての成長は訪れない。
成功や知恵は、まず“静かで安定した心”という土台の上に築かれる。
それを忘れぬ者だけが、着実に内なる完成に近づいていく。


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