人間の本質は、過去の事実と自然の理に学ぶことから見えてくる
孟子は、人の「性(せい)=本性」について論じるときには、
推論や空想によらず、過去の経験的事実=「故(こ)」に基づかなければならないと説いた。
この「故」とは、人間社会における実際の歴史・経験・自然な事象の蓄積を意味する。
そしてその「故」は、自然に即し、**利(り)=無理のない理(ことわり)**を根本としている。
孟子はまた、知者(ちしゃ/ちえある者)が嫌われる理由は、
不自然なまでに詮索すること=「鑿(さく)」にあると言う。
だが、もしその知が、古代の聖王・禹(う)が洪水を治めるために水の流れに従ったように、
自然の理に適った方法で用いられるならば、知もまた大きな徳となるのだと説いている。
さらには、どれほど遠く高い天や星の理であっても、
「故」を探求し、原理を解き明かすならば、千年後の冬至の日すら、坐って知ることができる――
つまり、自然と経験に即した知こそが、確かな未来をも見通す力となるというのである。
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
天下(てんか)の性(せい)を言(い)うや、則(すなわ)ち故(こ)のみ。
故なる者は、利(り)を以(も)って本(もと)と為(な)す。
智(ち)を悪(にく)む所の者は、其(そ)の鑿(さく)するが為なり。
如(も)し智者(ちしゃ)にして、禹(う)の水(みず)を行(おこな)うが若(ごと)くならば、則ち智に悪むこと無し。
禹の水を行るや、其の事(じ)無(な)き所に行る。
如し智者も亦(また)其の事無き所に行らば、則ち智も亦(また)大(おお)なり。
天(てん)の高(たか)きや、星辰(せいしん)の遠(とお)きや、苟(まこと)に其の故を求(もと)むれば、
千歳(せんさい)の日至(ひのいた)るも、坐(ざ)して致(いた)すべきなり。
注釈
- 性(せい)を言う:人の本性(性善か否か)について語ること。
- 故(こ):経験に基づく自然な事実・歴史・現象。
- 利(り):自然の理。無理のない本来的な正しさ。
- 鑿(さく)する:詮索しすぎる、不自然に突き詰めること。
- 禹(う):大洪水を治めた伝説の聖王。水の流れに従って道を開いた。
- 事無き所に行る:自然のままに行う、人工的に逆らわないこと。
- 千歳の日至(せんさいのひのいたる):千年後の冬至の日。
→ 自然の法則と経験に基づけば、未来すら予測できるという比喩。
心得の要点
- 本質的な思索には、過去の事実と自然の理(ことわり)に基づく視点が不可欠。
- 知識や知恵は、「詮索」ではなく、「理にかなった応用」であってこそ徳に昇華する。
- 先人の行いや歴史的経験を尊重する姿勢が、現代や未来の正しい判断を導く。
- 孟子の性善説も、空論ではなく、長い人類の経験から導き出された確信である。
パーマリンク案(スラッグ)
- seek-truth-in-history-and-nature(真理は歴史と自然にあり)
- no-overthinking-just-follow-nature(詮索より自然の理に従え)
- reason-over-speculation(理に基づく判断を)
この章は、思索・哲学・科学・倫理のすべてに通じる重要な教えです。
孟子は、自然と歴史の「経験知」にこそ、人の本質も、正義も、知恵の価値も宿ると語ります。
時代が進んでもなお、素直に見る、深く考える、無理をしない――この態度が、真に賢い生き方であると説いているのです。
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