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快楽を求める心が、不安と悲しみを招く


目次

📜 引用原文(日本語訳)

快楽から憂いが生じ、
快楽から恐れが生じる。
快楽を離れたならば憂いが存在しない。
どうして恐れることがあろうか?

—『ダンマパダ』第16章「愛するもの」第214偈


🔍 逐語訳

  • 快楽から憂いが生じ(sukhato jāyatī soko):快い感覚や経験を得ると、それが失われることを思って心に不安や悲しみが生まれる。
  • 快楽から恐れが生じ(sukhato jāyatī bhayaṃ):その快楽が壊れること、奪われることを恐れるようになる。
  • 快楽を離れたならば(sukhaṃ vajjetvā):その快への執着を断てば、
  • 憂いは存在しない(natthi soko kuto bhayaṃ):憂いや恐れは自然と消えていく。

🧩 用語解説

  • 快楽(sukha):身体的・精神的な心地よさ、満足感、幸福感。仏教では一時的・相対的な幸福を指す。
  • 憂い(soka):快楽を失うことによって感じる悲しみ・落胆・不安。
  • 恐れ(bhaya):快楽の喪失を予期したときに感じる不安や恐怖。
  • 離れる(vajjetvā):手放すこと。執着を絶ち切ること。

🧾 全体の現代語訳(まとめ)

快楽は一見幸福をもたらすが、それに執着すればするほど、失うことへの不安や恐れが心を覆うようになる。
だが、もし快楽への執着を断ち切ることができれば、心は平穏を取り戻し、悲しみや恐れに煩わされることはない。
快を求めること自体ではなく、「それが続いてほしい」と思う心こそが苦しみの種なのだ。


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、「快楽と苦しみの関係性」という仏教的な逆説を語っています。
私たちは「気持ちのいいこと」「楽しいこと」を求めますが、それが続くことを願いすぎることで、
失った時に深く落ち込み、得られない時に不満を抱きます。
つまり、快を「求め続ける心」こそが、苦の根本であるというメッセージです。

現代において、SNS・購買・娯楽・承認欲求など、「快」に満ちた刺激が日常にあふれていますが、
それらが実は「苦の連鎖」を作っていることに気づくべきだと説いています。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
💰 成功・報酬への執着達成感や報酬に囚われすぎると、得られなかった時の落胆や恐れに苦しむ。
💬 SNSや評価の罠“いいね”や承認の快に依存すると、不安定な精神状態に陥りやすい。手放すことが本当の安定につながる。
⚖️ 判断の誤り快を優先するあまり、長期的な視点やリスク回避を怠ると、逆に組織を危機に陥れる可能性がある。
🧘 ストレス耐性快を求めすぎず、平常心を保つ習慣がある人は、困難や変化にも強い。

🔑 心得まとめ

「快を追えば、恐れがついてくる。離れるほど、心は穏やかになる」

幸福や快楽を求めることは、私たちの本能ですが、それに依存することで心は逆に不安定になります。
真の幸福とは、快を追い続けることではなく、快に振り回されない自分を育てることによって得られるのです。
「快への執着を手放せたとき、初めて本当の安らぎが訪れる」——この偈はその真理を示しています。


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