孟子は、志を立てて物事に取り組む者は、目的を達成するまで決して途中でやめてはならないと教えた。それは、井戸を掘る作業にたとえられる。どれほど深く掘っても、水の湧く泉に達しなければ意味がない。たとえ「九軔(きゅうじん)」──つまり非常に深く掘ったとしても、水が出ないままやめてしまえば、それは井戸を掘ったとは言えず、井戸を捨てたのと同じである。
「孟子曰(もうし)く、為すこと有る者は、辟(たと)えば井を掘るが若し。井を掘ること九軔、而も泉に及ばざれば、猶お井を棄つと為すなり」
「志を持って行う者は、あたかも井戸を掘るようなものだ。どれほど深く掘っても、泉に達しなければ意味がない。途中でやめるのは、井戸そのものを捨てたのと同じである」
どんなに努力してきても、目標を達成する前に諦めてしまっては、すべてが無に帰してしまう。目的ある者は、最後までやり抜く覚悟が求められる。
※注:
「九軔(きゅうじん)」…かなり深い地点まで掘ること。1軔=約8尺(約2.4m)とされる。
「泉に及ばざれば」…水が湧き出す層に届かなければ。
「棄井」…井戸を捨てる。途中放棄を意味するたとえ。
『孟子』尽心章句下より
1. 原文
孟子曰、爲者、辟若掘井、掘井九軔而不及泉、猶爲棄井也。
2. 書き下し文
孟子曰(いわ)く、為すこと有る者は、辟(たと)えば井を掘るがごとし。井を掘ること九軔(きゅうじん)にして、なお泉に及ばざれば、猶お井を棄つるがごとし。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「物事をなす者は、井戸を掘るようなものだ。」
→ 目標に向かって努力する人の姿は、井戸を掘る行為に例えられる。 - 「井戸を九軔も掘って、泉に届かなければ、それは井戸を捨てたのと同じである。」
→ 九軔(=かなり深く)掘ったのに、水(成果)が出なければ、掘らなかったのと同じこと。途中でやめたら意味がない。
4. 用語解説
- 為者(なすもの):物事を成そうとする人、努力する者。
- 辟若(ひじゃく):たとえば~のようだ、の意。比喩表現。
- 掘井(くつせい):井戸を掘ること。ここでは「努力して目標に近づくこと」の比喩。
- 九軔(きゅうじん):「軔」は車輪の幅で、九軔は9段階(かなりの深さ)を意味する。水に届く寸前まで来ている様子。
- 泉(せん):湧水。努力の成果・目的の達成の象徴。
- 棄井(きせい):井戸を放棄すること。途中で諦めることを指す。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子は言った:
何かを成そうとする者の行動は、井戸を掘ることにたとえられる。
もしも井戸を九段掘って、もうすぐ水に届くというところでやめてしまえば、それは井戸を掘らなかったのと同じである。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「最後までやり切ることの重要性」**と、「途中で諦めることの無意味さ」を鮮やかに語っています。
- 努力は“完成してこそ”意味がある
いくら時間や労力をかけても、結果を出す寸前でやめてしまえば、全てが水の泡になる。成功とは「最後の一掘り」にある。 - “もうすぐ”を見極める眼と意志の力
掘り続ける者にとって、「あと少しで水が出る」かどうかは見えない。しかし、その一歩を信じて続ける者だけが成功に至る。 - “諦めた経験”を積み重ねるな
一度あきらめ癖がつくと、他の挑戦でも同様に途中で手を引く習慣がついてしまう。小さな継続が自己効力感の土台になる。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 「最後の一押しこそが結果を分ける」
プロジェクトの推進、営業活動、プロダクト開発など、あと一歩のところで妥協しない姿勢が、競争優位を生む。
✅ 「失敗とは途中でやめること」
成果が出ないから失敗ではない。真の失敗とは、「やり切る前に諦める」こと。継続こそが実力の証明。
✅ 「途中経過は評価されない。結果を出せ」
9割完成したものでも、世間は成果として認めない。「結果を出すこと」までやり切る意志が、信頼・評価・成功を引き寄せる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「九分九厘の努力も、水に届かねば無に等しい──“最後の一掘り”を信じて続けよ」
この章句は、現代においても「継続力」「執念」「達成力」の本質を教えてくれる力強い教訓です。
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