この章を読んで、どのような感想を抱いただろうか。社長の息子として幼い頃から不自由のない生活を送り、常に周囲の人々から「社長の坊ちゃん」として特別視されてきた。
自分では気づかないうちに、わがままでどうしても思いやりに欠けがちになる。たとえば、L社長のような例がある。彼は平気で私との約束を何度も反故にし、「申し訳ない」の一言すら口にしなかった。
おそらく君は最高学府を卒業し、父親が社長を務める会社に入社したのだろう。他人の飯を食ってからその会社に入ったのであれば、それは大きな幸運だ。ただし、たかが二年やそこらでは大した経験にはならないが……。
入社当初から次期社長候補と見なされている。たとえ役職が低くても特別扱いされ、下積みの本当の苦労を経験することはない。その結果、「人に使われる立場」の感覚が欠けている。短期間で昇進していくため、各段階での経験がどうしても不足してしまう。
さらに、「七光り」のおかげで、自分の意見が多少おかしくても大きな反対を受けることなく通ってしまう。次期社長となる人物に対して、不興を買ってまでその誤りを指摘し、本当の意味であなたのためを思って行動してくれる人など、そう簡単には現れないものだ。
こうした環境は、一見すると非常に恵まれているように見えるが、実際には経営者として大きな弱点となり得る。部下の立場への理解が乏しくなり、世の中を安易に捉えがちだ。この甘さが、経営に対する真剣さを欠く結果を招きやすい。父親が健在なうちは問題が表面化しないが、自分で一本立ちしなければならなくなった時、どうすればよいのか分からなくなることが多い。
S社長は、父親が社長だった頃にはその経営を批判していた。しかし、父親が亡くなり、自分が社長になった途端、何をどうすればいいのか全く分からないと悩み、私のもとに相談にやってきたのだ。
危機に直面した時こそ、真価が問われる場面だ。情勢を見誤ったり、優柔不断になって右へ進むべきか左へ進むべきかの決断がつかず、再起の道を見つけ出せなければ大問題となる。部下に対しては、自分の意志を、良い悪いに関わらず押し通すことはできるだろう。
しかし、外部に対してはそう簡単にはいかない。経営とは本質的に外部と向き合うことであり、厳しい外部の情勢に対応できなければ、企業はたちまち破綻してしまう。
外部の情勢に対処するための具体的な方策を教えてくれる人など存在しない。すべて自分で考え、自分で決断しなければならないのだ。このような局面で部下に期待を寄せるのは全くの誤りであり、ましてやその期待に応えてくれる部下などいるはずがないことを理解しておかなければならない。そのような能力を持つ人物は、すでに独立して自ら社長になっているからだ。
経営者とは本質的に孤独な存在であり、その孤独に耐えることは決して容易ではない。それでもなお、社長は自らの会社の経営に対して全責任を負わなければならない。そして、どのような困難に直面しようとも、会社を倒すわけにはいかないという重圧を背負い続けるのだ。
会社をつぶすことは、得意先、仕入先、従業員、株主といった関係者すべてに対する重大な背信行為であり、それ自体が反社会的な行為といえる。
君は、厳しく、苦しく、そして重い社会的責任を担う社長へと成長していかなければならない。そのためには、将来に備え、経営の実務や理論、そして社会の仕組みについて深く学び、経験を積んでおく必要がある。
そのためには、何をすべきかを自ら考え、自ら行動に移すしかない。幸いにも、君には父親という手本がある。その手本は、良い面においても、悪い面においても学ぶべき多くのことを示している。どちらも真摯に捉え、自分自身の経営者像を築き上げる糧とするべきだ。
君の目には、父親が頑固で時代遅れに映るかもしれない。実際、私の視点から見ても、六十歳を過ぎた経営者には時代感覚のズレが感じられることが少なくない。ましてや七十歳以上の社長ともなると、そのズレがさらに顕著になる場合が多い。
しかし、たとえ現在は時代遅れに見えるとしても、父親が若い頃からそうだったわけではない。若い頃には時代に即した考え方で経営を進めてきたからこそ、今日の会社を築き上げることができたのだ。批判は批判として受け止めるべきだが、父親を否定するのは誤りだ。これまでに数多くの危機を乗り越えてきた経験があることを忘れてはならない。
たとえ現在は時代遅れに見えるとしても、若い頃からそうだったわけではない。若い頃には、その時代に合った考え方で経営を行い、結果を残してきたからこそ、今日の会社が存在しているのだ。批判すること自体は構わないが、父親を全否定するのは間違いだ。現在の会社を築き上げる過程で、数々の危機を乗り越えてきたという事実をきちんと理解すべきである。
経営者の真価が問われるのは、まさに危機に直面した時だ。その局面でいかに対処するかが、その人物の器を決める。判断力や統率力も重要ではあるが、最終的に鍵を握るのは決断力だ。迷いを断ち切り、迅速かつ的確な決断を下すことが、危機を乗り越えるために欠かせない要素となる。
決断力のない社長は、どれほど他の資質に恵まれ、才能があろうとも、それだけで経営者として失格だ。その決断力こそが、数々の危機を乗り越えてきた君の父親から学ぶべき最も重要な教訓である。父親の経験に目を向け、その中から経営者としての本質を掴み取ることが求められる。
父親の決断力を学ぶには、日常の業務における采配を見てもあまり参考にはならない。なぜなら、真の決断というものは、外部情勢の変化によって会社が危機に直面した時にこそ発揮されるものだからだ。そのため、父親の決断について学ぶべき第一歩は、会社の基礎がまだ固まっていなかった創業当時に注目することだろう。その時期には、数多くの挑戦や困難に対する父親の判断が詰まっているはずだ。
父親が創業当時の苦労話をしてくれる時、「また始まった」と敬遠してはいけない。それどころか、むしろこちらから積極的に質問を投げかけ、その当時の外部情勢や状況を詳しく聞き出すべきだ。そして、父親がどのような決断を下し、それによって危機を乗り越えたのかを深く学ぶことが重要だ。そこには、経営者としての核心に迫るヒントが隠されている。
過去の話だけにとどまらない。これからも、危機は何度でも訪れる。そのたびに、父親と共にそれに対処することになるだろうが、その際には「自分ならこうする」という考えを明確に持ち、父親と相談するべきだ。自分自身で考えることで、父親の考え方や決断の背景がより深く理解できるようになるからだ。これが、次代の経営者として成長するための重要なプロセスとなる。
こうした状況で誤りのない結論を導き出すために最も重要なのは、外部情勢を的確に把握していることだ。これをその場になってから慌てて調べようとしても遅い。日頃から外部の動向に目を向け、情報を収集し分析する習慣を身につけておく必要がある。準備がなければ、危機の際に適切な判断を下すことはできない。
普段から自らの時間と関心の大半を外部に向けていなければ、的確な外部情勢の把握は不可能だ。内部管理にばかり目を向け、「経営学」と称する内部管理学に囚われてしまったら、それは経営者としての終わりを意味する。そのような誤りについては、本書の随所で繰り返し指摘している通りだ。
新聞、書籍、雑誌、テレビといったマスコミからの情報はもちろんのこと、各界の権威者による講演会や研究会にも積極的に足を運ぶことが重要だ。この際、関心の範囲を自分の業界だけに限定してはならない。むしろ、他業界や直接関係のなさそうなさまざまな分野の情報に触れることが、視野を広げるうえで極めて有益である。広範な知識と洞察力が、経営者としての判断をより鋭くする基盤となる。
外出の際、少しでも時間があれば、デパートに立ち寄り、上階から下階まで陳列されている商品を見て回ることだ。この「デパート素見」から得られる情報は想像以上に貴重だ。商品や売り場の配置、消費者の動向など、表面的な観察からでも多くのヒントが得られる。こうした行動を習慣化することで、日常の中に隠された経営に役立つ情報を見つけ出す目を養うことができる。
とにかく、目で見て耳で聞き、肌で感じるあらゆる情報を貪欲に吸収しなければならない。それらをもとに時代の流れを捉え、変化に対応する感覚を磨くことが重要だ。こうした日々の積み重ねが、経営者としての洞察力を養い、的確な判断を下す力へとつながる。
これらの情報を基盤にして、得意先、取引先、業界団体、行政官庁、銀行など、できる限り多く、幅広く訪問することが大切だ。各方面から得られる情報を総合し、それをもとに自社の事業の方向性や戦略を考えていく。このような活動を通じて、現場の声や市場の動向を深く理解し、経営判断の精度を高めていく必要がある。
外部情報こそが、自社の方向性を決定するうえで最も重要な要素であり、それを認識しない限り、これからの経営を担うことなど不可能だ。そしてもう一つ忘れてはならないのが、「経理」の素養を身につけることだ。経理の知識がないままでは、会社の財務状況を正確に把握できず、適切な判断を下すことも難しくなる。経理は経営の土台であり、その基礎をしっかりと理解することが、信頼性のある経営を可能にする。
私が付き合いのある社長の中には、数字が分からない人があまりにも多い。正直、危なっかしくて見ていられない。数字を理解しないままに会社を経営しようとするのは、個人経営ならまだしも、多くの従業員を抱える企業の社長としては甘すぎる考えだ。それはまるで「盲目飛行」ならぬ「盲目経営」であり、そんな状態で会社の舵を握ることなど到底できるはずがない。経営において数字を読む力は、羅針盤のように不可欠なものだ。
「生理的に経理が嫌いだ」などという感情で済む問題ではない。それが自分一人の問題であれば構わないかもしれないが、社長という立場には大きな社会的責任が伴う。その責任を果たすためには、「数字を知った経営」が絶対に必要だ。経理や財務は単なる個人的な好き嫌いで避けられるものではない。その重要性を理解し、数字を通じて会社を正確に把握する力を身につけなければならない。これこそが、責任ある経営者の基本だと知るべきだ。
この章を読んで、二世の皆さんが感じ取っていただきたいのは、後継者としての責任の重さと、自己鍛錬の必要性です。特別扱いの中で育ち、次期経営者としての道が保障されているように見える環境が、実は経営者としての自立には大きな妨げとなりうるのです。周囲にいる部下は、皆が必ずしも正直にあなたに意見してくれるわけではありません。そのような状況では、実際に経営に向き合ったときに、「なにを、どうすべきか」を見失う危険があるのです。
経営者として自立するには、他人の飯を食い、自分の力で行動する経験が欠かせません。そして、たとえ父親の指導が古いように感じても、その中には時代の荒波をくぐり抜けてきた判断力や決断力の核があり、それはあなたが学ぶべき大きな教訓です。決断力が乏しい経営者には、どんなに他の才能があっても、経営は任せられません。だからこそ、危機にどう対処するかを学び、決断力を磨くために、これからも父親とともに経験を重ねていってください。
また、経営には、自社の枠を超えた広い視野と、的確な外部情報が必要です。業界や関連分野に限らず、常に外に目を向け、時代の流れを読み取る努力が大切です。さらに、数字を読み、経理の素養を身につけることは、会社を正しく導くために避けて通れない道です。経営は「盲目経営」では成り立たないのです。
父親の七光りに頼るだけでなく、自らの力で光を放つ存在となるために、今こそ、厳しくも充実した準備の時を過ごしてほしいと思います。
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