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海と波

人はしばしば、自分という存在を限定されたかたちで捉えようとする。

名、立場、役割、性格――それらはまるで「波」の形のようなものである。

だが、その波はどこから生まれ、何によって支えられているか。

それが見えぬままに、ただ「自分は波だ」と思い込むとき、苦しみが始まる。

インド哲学は説く。

波の本質は、海にある。そして人間の本質もまた、アートマンという「意識の源」にある。

アートマンとは、私たちを存在させ、意識をもたらし、その本質において至福そのものであるもの。

それはブラフマン――宇宙に満ちる意識と、同じ性質を持つ。

私たちは海から生まれた波のように、個として現れてはいても、その本質において分かたれてはいない。

波が「自分は波だ」と執着し始めるとき、不安や比較、競争が心を支配する。

岩に砕かれることを恐れ、他の波の高さに嫉妬し、自分の小ささを嘆く。

しかし、どれほど波がもがいても、海を離れては存在できない。

自分が「海の一部である」という真実を思い出したとき、心は静けさを取り戻す。

私とは何か。その問いに対する答えは、形ではなく本質にある。波であろうとせず、海として在ること。そこにこそ、安らぎと自由がある。

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