― 志ある者にとって「仕える」とは、単なる地位ではない
周霄が続けて問う。「たった三ヶ月仕えないからといって、なぐさめを送るのは大げさではないか」と。
これに孟子は、厳粛に答えた。
士(し)にとって「仕える」ということは、生活の手段や名誉以上に、宗廟を祀る務め=祖先を正しくまつる責任に直結する。
古の礼では、諸侯が自ら田を耕して穀物を供え、夫人が糸を紡いで祭服を用意した。これがすべて、宗廟の祭祀のためだった。
もし国家を失えば、これらは成り立たず、祭りは滞る。士に田(=禄)が無ければ同じく、いけにえも供物も衣もなく、祭りも宴もできない。
つまり、仕官できない状態は、ただの無職ではなく、祖先への義務すら果たせなくなる重大な不在であり、弔うに足るのだ。
さらに孟子は、孔子が国を出る際にも常に礼物を車に載せていたことに触れ、それは単なる礼儀ではなく、「いつか仕えるべき君に出会う準備」であり、士が自らの使命を捨てぬ証だと説く。
「士(し)の仕(つか)うるや、猶(なお)農夫(のうふ)の耕(たがや)すがごときなり」
― 君に仕えるとは、田を耕すような本分の行いである
本分を放棄しない。志を捨てない。
孟子にとって「士」とは、仁・礼・義を根に持つ行動者であり、その務めを果たせぬときは、名誉や経済的な損失以上に、存在の根本を揺るがす問題なのである。
原文(ふりがな付き引用)
「士(し)の失位(しつい)や、猶(なお)諸侯(しょこう)の国家(こっか)を失(うしな)うごときなり」
「士(し)の仕(つか)うるや、猶(なお)農夫(のうふ)の耕(たがや)すがごときなり」
注釈
- 三月君無ければ則ち弔す…三ヶ月仕官していない者は見舞うべきという古の礼の考え方。
- 粢盛(しせい)…黍や稷など祭祀用の穀物を盛ったもの。
- 犠牲(ぎせい)…いけにえ。神に捧げる供物。
- 宴(えん)…祭祀後に行う祖先を囲む会食。祖先祭礼の一部。
- 耒耜(らいし)…農具。士が礼物を捨てないことにたとえる比喩。
1. 原文
三月無君則弔、不以急乎。曰、士之失位也、猶諸侯之失國家也。
禮曰、諸侯耕助以供粢盛、夫人繅以爲衣服。犧牲不成、粢盛不潔、衣服不備、不敢以祭。惟士無田、則亦不祭。
牲殺器皿衣服不備、不敢以祭、則不敢以宴。亦不足弔乎。
出疆必載質、何也。曰、士之仕也、猶農夫之耕也。農夫豈爲出疆、舍其耒耜哉。
2. 書き下し文
三月君無ければ則ち弔す。急ならざるか。
曰く、士の位を失うは、猶お諸侯の国家を失うがごとし。
礼に曰く、諸侯は耕助して粢盛(しせい)に供し、夫人は蚕繅して衣服を為す。
犠牲成らず、粢盛潔からず、衣服備わらざれば、敢えて以て祭らず。
士も田なければ、また祭らず。
犠牲・器皿・衣服が備わらず、敢えて以て祭らざれば、また宴することも敢えてせず。
これまた、弔するに足らずや。
「彊(きょう)を出づれば必ず質(しち)を載す」とは何ぞや。
曰く、士の仕うるは、猶お農夫の耕すがごとし。農夫、豈(あ)に彊を出づるがために、その耒耜(らいし)を舎てんや。
3. 現代語訳(逐語)
三月無君則弔、不以急乎。
「三ヶ月も主君がいなければ弔うというのは、いささか大げさすぎはしないか?」
曰、士之失位也、猶諸侯之失國家也。
「それは、士(知識人)が地位を失うのは、ちょうど諸侯が国を失うのと同じくらい重大なことだからである。」
禮曰、諸侯耕助以供粢盛、夫人繅以爲衣服。
「『礼』にこうある。諸侯は耕作を手伝って供物を整え、婦人は糸を紡いで礼服を作る。」
犧牲不成、粢盛不潔、衣服不備、不敢以祭。
「もし犠牲が準備できず、供物が清浄でなく、衣服も整わない場合は、祭祀をしてはならない。」
惟士無田、則亦不祭。
「士も同様に、耕作する田がなければ、祭りを行ってはならない。」
牲殺器皿衣服不備、不敢以祭、則不敢以宴。
「犠牲や器皿、衣服が揃っていなければ祭礼をしてはならないし、当然宴もしてはならない。」
亦不足弔乎。
「このような状況にあるなら、哀悼に値しないことなどあろうか?」
出疆必載質、何也。
「『国を出るときには必ず質(証明・信物)を携える』というのはなぜか?」
曰、士之仕也、猶農夫之耕也。農夫豈爲出疆、舍其耒耜哉。
「それは、士が仕官するのは、農民が耕作するのと同じくらい本質的な行為だからだ。農夫が出かけるからといって、自分の鋤や鍬を置き去りにはしないのと同じである。」
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
君 | 主君、仕えるべき支配者。 |
弔(とむら)う | 悲しみを表すこと。ここでは「主君がいない」ことを悲しむ態度。 |
粢盛(しせい) | 米などの供物、神に供える食物。 |
繅(そう) | 糸を紡ぐこと。 |
犧牲 | 神に供える動物のいけにえ。 |
器皿 | 祭祀や宴会に用いる器具。 |
質(しち) | 信物。外交や使節の場面で持参する公式な証。 |
耒耜(らいし) | 鋤(すき)や鍬(くわ)など、農具のこと。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
「主君がいないことを三ヶ月で弔うとは、少し大げさではないか?」
と問われた孟子は、それは「士(知識人)が職を失うこと」が「諸侯が国家を失うこと」と同じくらい深刻だからだと答える。
さらに孟子は『礼』の言葉を引用して、どんな身分でも祭祀に必要なものが整わなければ、祭りはできず、宴もしてはならないと語る。
士も、田がなければ祭りができない。それと同様に、職や役割を失った士にとって、哀悼の念は当然のものだというのである。
また、国を出るときに信物を持つのは、「仕官」が「農耕」と同じく本質的な行為であり、農夫が鋤を持たずに出かけることがあり得ないのと同様だからだと説く。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**職業・地位・社会的役割に対する“誠実さと敬意”**を説いています。
- **「仕官は人生の本質的な行為」**という孟子の認識は、職業に対して極めて高い倫理的価値を置いていた証拠です。
- 単なる生活の手段ではなく、「公に仕える」ことは、祭祀や農耕と同じく社会の根幹に関わる神聖な行為であるとされています。
- また、「準備が整っていなければ祭りをしてはならない」ことから、形式や見かけよりも中身と誠実さを重んじる思想が見られます。
7. ビジネスにおける解釈と適用
① 「職務=天命」と捉える視点
単なる“仕事”ではなく、“自分が社会に仕える役割”として捉えることで、高い使命感と誇りを持って行動できる。
② 「備えなき儀式」は信を損なう
準備や根拠、証拠がない状態での提案・プレゼン・式典は、かえって信頼を失う。
**中身が備わっていなければ“行動すべからず”**という教え。
③ 「職を失う=社会的喪失」と捉える倫理観
雇用の喪失や役割の剥奪を「喪失」と見る姿勢は、組織における人的資本への深い敬意を示す。
一人ひとりの“仕える場所”を真剣に考えることが、本物の人材戦略につながる。
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