MENU

自分の先師筋の行動をよく理解する

行動は異なれど、“道”は一つ――曾子と子思の選択をどう見るか

かつて、子思(しし/名は伋〔きゅう〕。孔子の孫、曾子の弟子であり孟子の先師の一人)は、衛の国にいた。

その地に斉の侵略軍が迫った際、ある者が子思に問う:

「敵が来ました。なぜ立ち去らないのですか?」

子思は静かに、そして毅然と答える:

「もし私が去ったなら、君主は誰とともに国を守るというのか?」


孟子の見解:立場が違えば行動も違う。しかし“道”は同じ

この子思の発言を受け、孟子は次のように説く:

「曾子と子思は、外見上は逆の行動を取っているように見えるが、
その根本にある“道”=正義・義理・役割への忠実さは同じである

その理由を孟子はこう説明する:

  • 曾子は「師」であり、「父兄」である立場。つまり、導く者、規範であるべき人
    → 自らを守ることで、道義や礼を保持した。
  • 子思は「臣」であり、身分の低い者=君主に仕える立場
    → 自らの職責として、主君と運命を共にするのが忠義であると考えた。

そして孟子は断言する:

もし曾子と子思が立場を入れ替えていたなら、やはりそれぞれの行動は入れ替わったはずだ

つまり、彼らは**“立場”に従い、“道”を貫いた**。
それこそが孟子が言う「同じ道を行った者たち」という評価の根拠です。


原文(ふりがな付き)

子思(しし)、衛(えい)に居(お)る。斉(せい)の寇(こう)有(あ)り。
或(あ)る人曰(いわ)く:「寇至(いた)る。盍(なん)ぞ諸(これ)を去(さ)らざるや?」

子思曰(いわ)く:
「如(も)し伋(きゅう)去(さ)らば、君(きみ)誰(たれ)と与(とも)に守(まも)らん?」

孟子曰く:
「曾子(そうし)・子思、道(みち)を同(おな)じくす。
曾子は師(し)なり、父兄(ふけい)なり。子思は臣(しん)なり、微(び)なり。
曾子・子思、地(ち)を易(か)うれば、則(すなわ)ち皆(みな)然(しか)り」


心得の要点

  • 行動が異なって見えても、それぞれの立場に即した“道”を守っているならば、本質は同じ
  • 役割・身分・状況をわきまえて行動することが、儒家における「義」の実践。
  • 表面的な一致よりも、内面的な一致(価値観・使命感)が徳の基準となる
  • 先師の行動は、時代や立場の文脈とともに解釈し、理解しなければならない

パーマリンク案(スラッグ)

  • same-principle-different-actions(原理は同じ、行動は違う)
  • context-matters-in-duty(義務には立場の文脈がある)
  • understand-the-way-not-just-the-deed(行動より“道”を見よ)

この章では、孟子が「忠義とは盲目的な一貫性ではなく、立場に応じた義の実践である」という極めて柔軟かつ理性的な思想を示しています。
道は一つでも、その表れは多様である――まさに、人の本質を理解するためには、背景と全体像を見なければならないという教えです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次