秦も周も天下を取った。しかし、命運の長さはあまりに違う。
その違いは、単に「取る」方法ではなく、「治める」姿勢にあった。
唐の太宗は、周の武王と秦の始皇帝の事例を引き合いに、こう説いた。
周は殷を倒した後、仁義を広めて人々の心を得ようとしたが、秦は六国を制した後、力で民を押さえつけた。
同じく天下を得たにもかかわらず、治め方に心の差があり、結果として王朝の命運に大きな違いが生じたのだ。
「取る」ことばかりに囚われる者は、やがて崩れる。
「守る」ためにこそ、仁義や信が欠かせない。
■引用(ふりがな付き)
「周(しゅう)は殷(いん)を克(か)ちて、務(つと)めて仁義(じんぎ)を弘(ひろ)む。秦(しん)は志(こころざし)を得て、専(もっぱ)ら詐力(さりょく)を行(おこな)う。ただ取(と)ることのみ異(こと)なるにあらず、抑(そもそ)も亦(また)守(まも)ること同じからず。祚(さいわい)の脩短(しゅうたん)、意(こころ)茲(ここ)に在(あ)らんか」
■注釈
- 仁義(じんぎ):人としての思いやりと正義。道徳的な秩序を意味する。
- 詐力(さりょく):欺きと力による支配。暴力と策略に頼る政治のあり方。
- 祚(さいわい)の脩短(しゅうたん):王朝の命運の長短。ここでは周と秦の存続期間の違い。
- 守(まも)る:ここでは天下を治め維持するという意味。
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