孔子は弟子の仲弓(ちゅうきゅう)に向かって、印象的なたとえを用いて語った。
「たとえその牛が、祭祀に使われない雑種(犂牛)の子であっても、赤く美しい毛並みと立派な角を備えていれば、たとえ誰かがそれを使わないと決めても、山や川の神々が見逃すことはない」と。
これは、親の素性や出自にとらわれず、自らの徳や能力によって評価されるべきだという深い教えである。
どんな境遇に生まれたとしても、努力と品性によって、誰もが尊ばれる存在になれる――そのことを孔子は、仲弓に伝えたのだ。
世の中には、自分の不遇を親や生まれのせいにしてしまう人もいる。だが、それは見方を誤っている。
大切なのは「今、どうあるか」。その積み重ねが、やがて神仏も見逃さぬような光を放つのだ。
ふりがな付き原文
子(し)、仲弓(ちゅうきゅう)を謂(い)いて曰(いわ)く、
犂牛(れいぎゅう)の子(こ)、騂(せい)くして且(か)つ角(つの)あらば、
用(もち)いる勿(なか)らんと欲(ほっ)すると雖(いえど)も、
山川(さんせん)、其(そ)れ諸(これ)を舎(す)てんや。
注釈
- 仲弓(ちゅうきゅう):本名は冉雍(ぜんよう)。孔子の高弟。誠実さと謙虚さに優れる。
- 犂牛(れいぎゅう):雑種の農耕牛。外見や血統の点から祭祀に用いられないとされていた。
- 騂(せい):赤毛。祭祀で用いられる牛の理想的な毛色。
- 山川(さんせん):山や川の神。自然信仰における神々の象徴で、正しき者を見逃さない存在。
- 舎てんや(すてんや):見捨てるだろうか、いや見捨てない、という反語的表現。
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