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正しき生き方にこそ、ほんとうの喜びがある

孔子は、どれほど貧しく質素な暮らしであっても、自らが信じる正しい道を生きていれば、そこに真の楽しみがあると語った。
粗末な食事に、水を飲み、肘を曲げて枕にするような生活――それでも心に満ちる充足感がある。
逆に、道に反する行いで得た富や地位は、孔子にとっては「浮雲のようなもの」、つまり一時的で、意味のないものにすぎない。
この言葉は、外的な豊かさではなく、内なる誠実と自分の信念こそが人生の幸福を支えることを、力強く教えてくれる。


原文・ふりがな付き引用

子(し)曰(い)わく、疏食(そしょく)を飯(くら)い、水(みず)を飲(の)み、肱(ひじ)を曲(ま)げて之(これ)を枕(まくら)とす。楽(たの)しみ亦(また)其(そ)の中(なか)に在(あ)り。
不義(ふぎ)にして富(と)み且(か)つ貴(たっと)きは、我(わ)が於(お)いて浮雲(ふうん)の如(ごと)し。


注釈

  • 疏食(そしょく) … 粗末な食事、白米に漬物のような質素な食。
  • 肱を曲げて枕とす … 枕すらない貧しい生活の象徴。
  • 楽亦その中に在り … それでも楽しみは見出せるという、内面からの喜びを強調。
  • 不義にして富且つ貴き … 正義に反した手段で得た富や地位。
  • 浮雲の如し … 空に浮かび、形を留めずに流れていく雲のように、つかの間で価値のないものという比喩。

1. 原文

子曰、疏食飮水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。


2. 書き下し文

子(し)曰(い)わく、疏食(そし)を飯(くら)い、水(みず)を飲(の)み、肱(ひじ)を曲(ま)げて之(これ)を枕(まくら)とす。楽しみ亦(また)其(そ)の中に在(あ)り。
不義(ふぎ)にして富(と)み且(か)つ貴(たっと)きは、我(われ)に於(お)いて浮雲(ふうん)の如(ごと)し。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「疏食を飯い、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす」
     → 粗末な食事を食べ、水を飲み、腕を曲げて枕とするような質素な生活をしても、
  • 「楽しみ亦た其の中に在り」
     → その中にこそ本当の楽しさがある。
  • 「不義にして富み且つ貴きは」
     → 道理に反した手段で得た富や地位は、
  • 「我に於いて浮雲の如し」
     → 私にとっては、空に浮かぶ雲のような、取るに足らぬものである。

4. 用語解説

  • 疏食(そし):粗末な食事。米粒のまばらな飯。
  • 曲肱(きょくこう):腕を折り曲げる。ここでは枕にする動作。
  • 不義(ふぎ):道理・正義・倫理に反すること。
  • 富且貴(とみかつたっと)き:金銭的に豊かで、社会的に高い地位にあること。
  • 浮雲(ふうん):雲のように浮いて流れ、実体のないはかないもの。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう言いました:
「粗末な食事と水だけの生活であっても、腕を枕にして休むような質素な暮らしの中に、私は楽しみを見出す。
一方、正義に反して得た富や地位など、私にとっては空に浮かぶ雲のように、取るに足りないものである。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、孔子が**“内面的充実=真の楽しみ”**をどこに見出すかを語った名言です。
質素な生活の中にも喜びを見出せる人格的成熟と、義に反する成功を拒む姿勢の両方が表現されています。

孔子は、豊かさや地位が悪いとは言っていません。
ただし、それが「不義=道に反する方法」で得られたものであれば、それは一時の幻想にすぎないと断言しています。
ここには、倫理に根ざした持続可能な幸福観が見て取れます。


7. ビジネスにおける解釈と適用

■「質素でも、誇りある仕事にこそ喜びが宿る」

──豪華さや報酬ではなく、誠実で正しい仕事の中にこそ、やりがいと喜びがある。

■「不正な成功は、やがて雲散霧消する」

──倫理に反した手段で得た成果は、見かけは立派でも、信頼と尊厳を失う。

■「誠実さは、最高の無形資産」

──たとえ一時的に不利に見えても、義を守る人は長期的に信頼され、選ばれる。

■「“足るを知る”リーダーは、組織を安定させる」

──高望みしすぎず、身の丈に合った誠実な経営・生活を心がけることが、持続性の鍵。


8. ビジネス用心得タイトル

「誠実にして豊か──“義なき富”は浮雲なり」


この章句は、リーダーシップ、企業倫理、キャリア選択、人生観の全てに通じる普遍的な価値を内包しています。

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