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民が望んだ征伐、それが王道の戦い

― 正義の軍とは、暴政を討ち、民に恵みをもたらすもの

孟子は、湯王の征伐が葛に始まり、十一の国を討って天下に敵なしとなった故事を語る。
しかしそれは、武力による支配を目指したのではない。悪政を敷く君を討ち、苦しむ民を救うという「義」に基づいた戦いだった。

湯王が東に征伐に向かえば、西の異民族が「なぜ我々は後回しなのか」と嘆き、
南に向かえば北の者が「次は我々の番か」と心待ちにした。
人々は湯王の軍を、大旱(だいかん)――ひどい日照りの時の恵みの雨のように切望したのである。

「民の之を望むこと、大旱(だいかん)の雨を望むが若(ごと)きなり」

湯王の軍が来ても、人々は普段通りに市場へ行き、畑で草取りをする。それは恐れの軍ではなく、救いの軍であったからだ。
彼が誅したのは民ではなく、その苦しみの元凶たる暴君であり、彼が与えたのは征服ではなく安寧だった。

『書経』はこれをこう表現する:

「我が后(きみ)を徯(ま)つ。后来たらば其れ罰無からん」
― 君が来れば、もう苦しみはなくなる

孟子がこの逸話を説くのは、王道の本質は民意と義にあり、力による支配ではないということを明らかにするためである。
それは単なる「戦争」ではなく、民にとって「待望の解放」だった。
ここに、覇道と王道の決定的な違いがある。


原文(ふりがな付き引用)

「民(たみ)の之(これ)を望(のぞ)むこと、大旱(だいかん)の雨(あめ)を望むが若(ごと)きなり」
「書(しょ)に曰(い)わく、我(われ)が后(きみ)を徯(ま)つ。后来(きた)らば其(そ)れ罰(ばつ)無(な)からん」


注釈

  • 湯王(とうおう)…殷の初代王。仁政と正義による政治で孟子が理想とした王者。
  • 大旱の雨(だいかんのあめ)…ひどい干ばつ時に降る恵みの雨。切望のたとえ。
  • 芸る(うねる)者…田畑で草取りをする人。庶民の営みの象徴。
  • 書経(しょきょう)…中国古代の歴史書・経典。孟子の引用は聖王の徳を裏付けるため。
  • 后(きみ)…王の敬称。湯王を指す。
  • 徯(ま)つ…心から待ち望む意。

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この章は、孟子の政治観――特に王道政治がもつ道徳的正統性の象徴です。
軍事行動ですら「民の幸福と救済の手段」であるべきという思想が、現代に通じる政治倫理の原点として光ります。

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