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報いは来ないと思う心に、すでに報いが宿っている


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📖 引用原文(日本語訳)

「愚かな者は(悪い事を)しながら『この報いはわれには来ないであろう』と考える。しかし、来世におもむいて、悪い行ないをした人々の行きつくところを知る。」


🔍 逐語訳(意訳)

「愚かな人間は、自分が悪いことをしても、
『こんなことで自分に悪い結果など来るわけがない』と思い込む。
だが死後、または人生の後半において、
悪業を積んだ者がたどる恐ろしい結末を、ついに自分自身も知ることになる。」


🧘 用語解説

  • 愚かな者(バーラ)
    善悪の因果に無知で、自らの行いがもたらす結果を軽んじる者。知識ではなく、智慧の欠如した者を指す。
  • 報いは来ないと思う(アナガミッサン・ティ)
    因果を軽視し、自分だけは特別・例外だと思い込む傲慢で無自覚な心。
  • 来世(パリ・ローカ/アニャ・ローカ)
    仏教的には「死後の存在」「次の生」を意味するが、広義には未来に現れる結果・報いを含意。
  • 行きつくところ(ニッティヤン・ガッチャティ)
    行為がもたらす最後の結果。すなわち悪因に基づく苦しみの帰着点。

🪷 全体の現代語訳(まとめ)

この句は、**因果応報の法則に対する「甘え」や「無知」**を厳しく戒めています。
愚かな者は、「これくらいのこと、どうせ大したことにはならない」と思い、
軽い気持ちで悪事を重ねる。
しかし、業(カルマ)の法則は必ず機を見てその者に報いをもたらす
自らがまいた種は、自らが刈り取るほかない。
それを知るときには、もう遅い――という教訓がこの一句に込められています。


🏛 解釈と現代的意義

この句は、「自分だけは大丈夫」という無根拠な楽観主義への警鐘でもあります。
現代のビジネスや社会でも、不正・虚偽・過失の隠蔽などが
「今さえ乗り切ればよい」という軽率な判断で行われることがあります。
しかし、それらは時間差で確実に結果をもたらすということを、この節は厳しく告げています。
目先の無事は、真の安全ではない。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点実践的応用
リスク軽視の心理「バレなければいい」「みんなやっている」と考えて行動すれば、後に取り返しのつかない損害を招く。
ガバナンスと内部統制小さなルール違反を放置すると、やがて大きな不祥事へとつながる。善悪の感覚を日常から育てることが肝要。
リーダーの意識部下が間違った行動をしても「見なかったこと」にすれば、それは組織全体の道徳的劣化を招く。
業績至上主義の危険数字を優先し過ぎるあまり、プロセスや倫理がないがしろにされると、いずれブランドや信用が失われる。

🧭 心得まとめ

「今は大丈夫――その慢心こそが、最大のリスクである」

目先の問題回避や短期的成功に心を奪われるとき、
人は因果という不可視の秤を見失う。
悪しき行為に未来がないのは、例外ではなく原則である。
だからこそ、
今この瞬間の小さな選択が、やがて自分の人生そのものを決める。
この節は、愚かさとは無知ではなく、
真理を知りながら軽んじる心であることを私たちに教えてくれるのです。


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