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勝ち負けに迷うとき、自分の使命に立ち返れ


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■原文(日本語訳)

第2章 第6節
アルジュナは言った。
「そして、どちらがよいのかわからない。我々が勝つべきか、彼らが我々に勝つべきか。彼らを殺したら、我らは生きたいとは思わぬ。そのドリタラーシュトラの息子たちは、面前に立っている。」


■逐語訳

  • どちらがよいのかわからない(ナ・チャ・エタド・ヴィディマハ):何が正しい選択か、判断がつかない。
  • 我々が勝つべきか(ヤン・ジャイェマ):自分たち(パーンダヴァ)が勝つべきなのか、
  • 彼らが我々に勝つべきか(ヤディ・ヴァー・ノ・ジャイェユフ):それとも彼ら(カウラヴァ)が勝つ方がよいのか。
  • 彼らを殺したら、我らは生きたいとは思わぬ(イェー・サム・スタン・アグラタハ・プラヴィクシターハ):彼らを殺してまで生きることに意味は見いだせない。
  • ドリタラーシュトラの息子たち(ドリタラーシュトラ・プトラーハ):敵側に立っているが、同時に血縁である。

■用語解説

  • ドリタラーシュトラの息子たち:カウラヴァ一族。アルジュナの従兄弟にあたる敵軍の主力。
  • 勝つ・勝たれる:ここでの勝敗は単なる戦闘結果ではなく、「自らの選択の正否」とも言える。
  • 面前に立っている(アグラタハ・プラヴィクシターハ):今まさに戦場で対峙しているという緊迫した情景。

■全体の現代語訳(まとめ)

アルジュナは、戦うべきか否か、自分たちが勝つべきなのか負けるべきなのかすら判断がつかない状態にある。敵として目の前に立っているのは、尊敬すべき長老や親族であり、彼らを倒しても、その勝利に価値を感じられないと苦悩している。


■解釈と現代的意義

この節は、「何が本当に正しいのか」がわからなくなる深い精神的混乱を描いています。信念と現実がぶつかるとき、人はしばしば判断力を失います。
また、勝ち負けだけでは測れない価値観の中で、人は「どちらにも進めない」状態に陥ることがあります。これは現代のビジネスや人生の選択においても起こりうる普遍的なテーマです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
意思決定の迷い道徳・信頼・利益のすべてが絡む意思決定では、短期的な勝敗だけでは答えを出せない。
利害関係者との衝突仲間や先輩との対立が起きたとき、感情・倫理・論理が交錯し、判断不能に陥ることがある。
目標の再確認本当に進むべき方向がわからなくなったときは、表面的な成果よりも「そもそもなぜ始めたか」に立ち返る必要がある。
精神的リーダーシップ自他共に迷っているとき、冷静に問いを立て直し、原則に立ち返る姿勢が周囲に道を示す。

■心得まとめ

「勝ち負けで道に迷ったら、己の目的を思い出せ」
人は迷いに包まれると、どちらを選んでも正解がないように思えてしまう。しかし、勝つべきか負けるべきかという問いの前に、「なぜこの戦いに臨んだのか」という根本を見つめ直すべきである。答えは外にあるのではなく、自分の内にある。


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