「結果に焦点を合わせる」ことが重要です。
伝統的な標準化の理論が日常業務に適している一方、変革と未来への対応には不十分です。経営者は革新に挑戦し、経済的成果を高める能力が求められます。
標準化は日常業務を効率化しますが、「仕事の標準化」と「仕事の流れ」の標準化が不足しており、これが未来を築く仕事に時間を割けない原因として挙げられています。
結果に焦点を合わせることは未来の仕事に焦点を当てることであり、経営者には伝統的なマネジメント論からの脱皮が求められます。現在の仕事に縛られず、未来に向けて積極的に取り組む姿勢が必要です。
経営者は標準化理論の仕事ではない
「目標は一つでも、手段は無数にある」という指導理念に徹する必要がある。やり方はどうでもよいのだ。要は結果を手に入れることなのである。
松下電器では、「こうせえ、ああせえ」とはいわない。「こうしたらどうや」という。これが本当なのだ。
あくまでも「過程主義」ではなく、「結果主義」に徹しているのはりっぱである。
ところが、従来の指導理念は、「目標はいくつあっても、手段は常にただ一つである、という哲学にこり固まってしまっている」(ドラッカー)、いわゆる「標準化」の理論である。
そして、標準化の理論は、きまりきった日常のくり返し仕事──これは現場の人びとの役目であって、経営担当者の仕事ではない──には役にたっても、革新、変化への対応という企業の未来を築く仕事には、まったくあてはまらない理論なのだ。
この点をはっきりと認識していないと、混乱が起こる。
そして、まさに、伝統的な標準化の理論は、変化への対応にブレーキをかける危険を、常にその裏にもっていることを忘れてはならないのである。
これからの経営担当者に期待される能力は、きまりきった日常のくり返し仕事をうまく処理してゆく能力ではない。
それは、未知の未来への挑戦によって、経済的成果も高めてゆく能力なのだ。それでは、標準化の理論は、まったく捨て去らなければならないのかというと、そうではない。
標準化のメリット
標準化は別の意味で変化への対応、革新というものに貢献しているのだ。
それは、日常のくり返し仕事を標準化することによって、未熟練者に熟練者の仕事をさせることができる。これによって経営担当者は日常業務から大幅に解放される。
そして、未来を築く仕事に大部分の時間を投入することができるからである。(*2)
このような意味で、標準化の必要性はますます高まってゆく。
それにもかかわらず、そのきまりきった日常のくり返し仕事の標準化さえ、現実の企業体の中では、お世辞にもすすんでいるとはいえないのである。
せいぜい「標準作業法」がその実用性に疑問はあっても、形の上でできている企業が、だんだんふえているくらいである。それ以外は、スタティックな規定や、具体性のかける制度があるくらいだ。
ところで、それらのものは、筆者がマネジメントを勉強しはじめた三〇年前と比較して、枝葉末節に多少の進歩があるだけで、実質的には、ほとんどなんの脱皮も変化もないといえる。
これは、企業にとっては大きな不幸といわなければならない。改善、進歩、脱皮を常に叫んでいるマネジメントの理論こそ、実は最も保守的なのだ。
本当に大切な標準化は、作業の標準化というよりは、むしろ「仕事の標準化」なのである。
仕事というのは、他の人からバトンタッチを受けてから、つぎの人ヘバトンタッチをするまでの、当人の責任において処理しなければならない、異種作業を統合した一連の業務であり、当人に任された単位業務なのである。
それにもまして、さらに重要なのは、「仕事の流れ」の標準化である。指令系統は階層を縦に縫ってゆく。それだけに、これに対する論議はゴマンとある。
しかし、仕事は部門の間を横に流れる。そして、それに対する論議はほとんどない。ただ一つ、チームワークという抽象的な概念があるだけなのだ。
抽象的なチームワークや協働という考え方だけでは、たんなる心構えを説いているだけで、分掌主義によるセクショナリズムや責任のがれに対しては、ほとんど実際の効果はない。
だから、部門間を横に流れる仕事は、そのさかい目でたえず問題を起こしている。
このようにして、日常の仕事とその流れの標準化ができていないための問題が、あとからあとからと起こり、その処理に追われて、肝腎な未来を築く仕事に時間をさくことができないでいるのが、多くの企業の姿なのである。
現在の仕事をどのようにりっぱに果たしても、そこからは、未来にわたってより多くの結果を期待することはできない。
それどころか、逆にだんだんと成果を得ることがむずかしくなる。本当にすぐれた成果をあげられるものは、革新なのだ。
だから、結果に焦点を合わせるということは、「未来の仕事に焦点を合わせる」といいかえることができよう。
現在の仕事から関心をそらせて、これを未来の仕事に投入することこそ、経営担当者の正しい態度といえよう。ここにも、明らかに、伝統的マネジメント論の脱皮の必要性があるのだ。
まとめ
このテキストは、結果に焦点を合わせる重要性を強調しています。伝統的な標準化の理論が日常業務には適していますが、革新や変化への対応には不十分であると指摘されています。
経営担当者は未知の未来に挑戦し、経済的成果を高める能力が求められます。
標準化は日常業務を効率化する一方、重要なのは「仕事の標準化」であり、「仕事の流れ」の標準化が不足していることが問題視されています。
結果に焦点を合わせることは未来の仕事に焦点を合わせることであり、伝統的なマネジメント論からの脱皮が必要であると結論されています。
経営担当者は日常業務に囚われず、未来に向けて積極的に取り組む姿勢を持つべきだと述べられています。
コメント