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足るを知ることが、帝王の品格である

貞観十二年、太宗が東方への狩猟の旅に出て洛陽へと向かう途中、顕仁宮に滞在した際のこと。
そこで、離宮の管理官たちが多数処罰された。その理由は、太宗への進物が少なかったり、食事の準備が行き届かなかったからであった。

この事態を見て、魏徴が厳しく諫めた。

「この行幸の本来の目的は、旧地の民心を慰撫し、恩を施すことにあったはず。
しかし今、民は何の恩恵も受けず、むしろ官吏が罰されている。
これは、陛下が“足る”ということを忘れ、贅沢に流れ始めたからです」

魏徴は、隋の煬帝の例を挙げる。
彼は行幸のたびに膨大な供応を求め、それが足りなければ下々を厳しく処罰し、
上も下も果てしない贅沢競争に陥った。結果、民は疲弊し、隋は滅亡した。

「この愚行を、書で読んだのではなく、陛下ご自身が目撃したではありませんか。
それなのに、煬帝よりも劣る人物になるおつもりですか」と、魏徴は強く問いかけた。

これを聞いた太宗は大きく驚き、深く反省したという。


■心得

  • 贅沢は無限であり、満足は心に宿るもの
  • 過ちの始まりは、止足(しそく)を忘れること
  • 民に恩を施すべき行幸で、奢りと罰を見せては、本末転倒

■引用(ふりがな付き)

「陛下(へいか)若(も)し以(もっ)て足(た)ると爲(な)さば、今日(こんにち)足(た)らざるに非(あら)ず。
若し以て足らずと爲さば、万倍(まんばい)すと雖(いえど)も、亦(また)足らざらん」


■注釈

  • 止足(しそく):道教や儒教で重要とされる「足るを知る」思想。欲望の限界を知り、分を守ること。
  • 顕仁宮(けんじんきゅう):隋の旧宮殿。太宗が滞在した際の一件がこの章の舞台。
  • 煬帝(ようだい):隋の第2代皇帝。過度な建築や行幸、民への過酷な徴発で国家崩壊を招いた。
  • 戦戦慄慄(せんせんりつりつ):戦々恐々。慎み深く、常に自戒しているさま。

■パーマリンク(英語スラッグ)

restraint-makes-the-ruler

その他の候補:

  • do-not-outdo-the-tyrant
  • extravagance-is-insatiable
  • humility-honors-the-throne

本章は、忠臣による痛烈な諫言と、それを受け止める明君の姿勢をよく示しています。

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