MENU

親を思うとは、姿が見えぬときこそ心を通わせること

親に心配をかけないことも、立派な孝のかたち

孔子は、孝行とは特別なことをするのではなく、親を気づかう「日常の態度」にこそ表れると説いた。
親が健在のうちは、なるべく遠方に出かけず、用事で遠出する場合には必ず「どこへ行くのか」を明確に伝えるべきだという。
それは、単に礼儀や報告の話ではない。
親は子の所在がわからないと、何かと心配するもの。
その気持ちを想像し、安心させる配慮こそが、真の孝のあらわれである。
自分の自由や都合だけで動くのではなく、「親の心に寄り添う」という、孔子らしい温かな人間観がにじむ教えである。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)在(いま)せば、遠(とお)くに遊(あそ)ばず。
遊(あそ)ぶには必(かなら)ず方(ほう)有(あ)り。

親が生きているうちは、
遠くへ出かけるなら、必ず行き先を告げよ――それが心の礼。


注釈

  • 父母在せば…両親が存命である間は、という意味。
  • 遠くに遊ばず…あてもなく遠方へ出かけることを控える。軽々しい外出を慎む態度。
  • 遊ぶ…ここでは「旅に出る」「外出する」意味。現代の「遊ぶ」より広い。
  • 必ず方有り…外出の際には必ず「どこへ行くのか」をはっきりさせること。方向・目的地の明示。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次