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表面が廃れても、礼の心は守られるべきである

子貢は、すでに形骸化しつつある「告朔(こくさく)」の儀式において、羊の生肉(餼羊 きよう)を捧げる行為を無駄だと考え、これを廃することを孔子に提案した。
しかし孔子はこう応じた――「お前は羊を惜しんでいるが、私はその礼が失われることの方が惜しいのだ」と。
たとえ儀式の意味が一見見えづらくなっても、それには本来の精神や価値が込められている。
形が残ることで心が伝わり、伝統の火は絶えず守られていく。

「賜(し)や、爾(なんじ)は其(そ)の羊(ひつじ)を愛(お)しむ。我(われ)は其の礼(れい)を愛む」

儀式を軽んじることは、先人の思いや文化の根を断ち切ることに通じる。見えにくい意味ほど、大切に守られるべきである。


※注:

  • 「子貢(しこう)」…孔子の弟子。名は端木賜(たんぼくし)。実務的な才覚に長けていた。
  • 「告朔(こくさく)」…毎月一日に祖廟に羊を捧げ、月の初めを告げる儀式。月次の始まりを礼的に確認するもの。
  • 「餼羊(きよう)」…いけにえとして捧げる生きた羊。
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