目次
📖 引用原文(日本語訳)
第一四章 ブッダ 一九五・一九六
すでに虚妄な論議をのりこえ、
憂いと苦しみをわたり、
何ものをも恐れず、安らぎに帰した、
拝むにふさわしいそのような人々、
もろもろのブッダまたはその弟子たちを供養するならば、
この功徳はいかなる人でもそれを計ることができない。
🧩 逐語訳
- 虚空をつかむような無益な議論や理屈を超え、
- 心の苦しみ・悩み・不安といった一切の苦を乗り越え、
- 恐怖からも自由になり、涅槃の安らぎに達した人々――
- そうした覚者(ブッダ)やその高弟たちは、真に尊敬されるに値する。
- もし彼らに供養(敬意・施し)を捧げるならば、
- その功徳(善き行いによって得られる霊的果報)は、誰にも測ることができないほど偉大である。
🧘 用語解説
- 虚妄な論議:言葉遊びや理屈の応酬、実践のない議論。仏教においては、実際の苦悩を癒やさない無益な討論を指す。
- 憂いと苦しみをわたる:苦(ドゥッカ)を乗り越え、精神的な自由に至ること。
- 恐れず、安らぎに帰した:煩悩も死も怖れず、涅槃に至った者の境地。
- 供養(ダーナ):尊敬・施し・礼拝など、敬意をもって行う善行。
- 功徳(プンニャ):善行により得られる、目に見えない霊的・精神的果報。未来に幸福として実を結ぶ。
🔎 全体の現代語訳(まとめ)
論争や理屈に固執することなく、
本質的な真理に目覚めて、心の不安や苦しみを乗り越え、
死さえも怖れず、完全な安らぎ(涅槃)に達した人――
そのような覚者やその弟子たちは、心からの尊敬と供養に値する存在である。
もしそのような人物に、心から供養を捧げるならば、
その善行は言葉で語り尽くすことも、計算することもできないほど、計り知れない功徳をもたらすのである。
💡 解釈と現代的意義
この偈は、「精神的完成者への敬意」を単なる儀礼ではなく、人間としての最高の行いの一つとして捉えています。
特に、自己の苦悩を超え、他者への智慧と慈しみをもって生きる人――そうした存在に学び、敬う心そのものが、
私たちの内面を浄化し、次なる成長や平安の種となるのです。
現代では「結果を出す人」ばかりが注目されがちですが、
この偈が語るのは、「静かに苦を越えた人」の尊さです。
真に学ぶべきは、そうした人の在り方・姿勢・心であるという仏教的価値観が、静かに語られています。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 解釈・適用例 |
---|---|
✅ 尊敬の対象の見直し | 「売上を上げた人」だけでなく、「精神的に成熟した人」にも敬意を払う文化が、組織の質を底上げする。 |
✅ メンターの選び方 | 理屈や自己顕示ではなく、静かに成果と成長を積み重ねてきた人物に学ぶことの価値を再確認する。 |
✅ リーダー像 | 説得や論破ではなく、苦を超えて静かに佇む姿勢そのものが、組織を導く力になる。 |
✅ 報酬と評価 | 目に見える成果に加えて、「人格・慈しみ・自己克服」にも報いる制度設計が、文化を深める。 |
✍️ 心得まとめ
「敬うべきは、静かに苦を超え、智慧と慈悲に満ちた人である」
論より実践、知識より沈黙。
覚者やその弟子たちへの敬意と供養は、
それを行う者の心を変え、測り知れない功徳となって返ってくる。
現代社会においても、そのような人物への「まなざし」と「感謝」が文化を育て、心を豊かにする。
コメント