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君子を仕えるには、真心と敬意がなければならない

孟子は、人をただ物で養うだけでは不十分であると説く。ただ禄(食)を与えて愛さなければ、それは人を豚のように扱うのと同じである。愛があっても、そこに敬意がなければ、それは獣を飼うのと同じであり、相手を人としてではなく、扱いやすい存在として見ているに過ぎない。

そして孟子は強調する。敬意とは、進物や贈り物を渡す前にすでに現れていなければならない。つまり、形だけの贈り物や表面的な儀礼ではなく、真心からの敬意が伴ってこそ、君子や賢人は心を動かされ、仕える気持ちになるのだ。

もしもその敬意に実質(誠意・徳)が伴わないなら、君子は虚しく引き止められるようなことには応じない。君子は、物では動かず、心で動く存在なのである。

「孟子曰く、食いて愛せざるは、之を豕交するなり。愛して敬せざるは、之を獣畜するなり。恭敬なる者は、幣の未だ将わざる者なり。恭敬にして実無ければ、君子虚拘すべからず」

「禄を与えても愛さなければ、それは豚を飼うのと同じであり、愛しても敬意がなければ、獣を飼うのと同じである。真の敬意とは、贈り物を出す前から現れているものだ。もし敬意に実質がなければ、君子は真心のない礼では留まらない」

※注:

  • 「豕交」…豚と交わる、つまり人間として扱っていないことのたとえ。
  • 「獣畜」…獣を飼うように、人としての敬意を持たずに接すること。
  • 「幣」…礼物、贈り物のこと。形式よりも心が先であるべきことを示す。
  • 「虚拘」…真心のないもので人を無理に引き止めること。
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