皇太子・李承乾の行動が次第に礼を欠き、放縦になっていく中で、側近たちは沈黙することなく、その過ちを諫め続けた。
太子左庶子の于志寧は、風刺を交えた書物『諫苑』を著し、筆をもって道を説いた。
また右庶子の孔穎達は、太子が顔をしかめようとも意に介さず、たびたび面と向かって過失を指摘した。
太子の乳母・遂安夫人が「太子ももう大人なのに、どうしてそこまで責めるのか」と問うと、孔穎達は静かに言った。
「私は国家から恩を受けた身。諫めのために死ぬことになっても、それを恨む理由はありません。」
その言葉どおり、孔穎達の諫めは一層厳しく、正道に導くことに徹していった。
太子から『孝経義疏』の執筆を命じられた際も、その中で自らの見解を述べ、古典に則って諫めの精神を貫いた。
太宗皇帝はこの両名を高く評価し、絹五百疋と黄金一斤を下賜した。
それは忠臣への報奨であると同時に、太子の心を奮い立たせるための配慮でもあった。
引用(ふりがな付き)
「蒙(こうむ)る国(くに)の厚恩(こうおん)、死(し)すとも恨(うら)み無し」
国家に仕える者としての覚悟が、この短い言葉に凝縮されている。
いさめることが、相手のためであり、ひいては国を救うことになるという信念が、ここにある。
注釈
- 虧礼度(きれいどをおかす):礼儀・規律を乱すこと。皇太子の不行状を指す。
- 于志寧(う・しねい):太子左庶子。書物を通じて諫言を行った文官。
- 孔穎達(こう・えいたつ):儒学者。『五経正義』の編者でもあり、忠義と剛直で知られる。
- 孝経義疏(こうきょうぎしょ):儒教の経典『孝経』を注釈した書。忠孝・礼節の基本を説く。
- 帛五百疋・黄金一斤(はくごひゃっぴき・おうごんいっきん):多額の褒美。君主の高い評価の象徴。
以下に、『貞観政要』巻一「太子承乾の驕逸に対する于志寧・孔穎達の諫言」について、いつも通りの構成で整理いたします。
『貞観政要』巻一「太子承乾の放縱に諫言した于志寧と孔穎達」より
原文の要約
貞観年間、太子承乾はしばしば礼法を損ない、贅沢と放縦が日増しにひどくなっていた。これを憂えた太子左庶子于志寧(う・しねい)は、『諫苑』二十巻という書物を編纂し、間接的に諷(ふう:風刺)して諫めた。
また、太子右庶子**孔穎達(こう・えいたつ)も、しばしば直言し、面と向かって太子を諫めた。これに対して、承乾の生母韋貴妃(安夫人)**が「太子は成長しているのに、なぜ面前で繰り返し厳しく叱責するのか」と問うと、孔穎達は「私は国家から大きな恩を受けており、たとえ命を落とすことになっても後悔はない」と答えた。
その後、太子が**『孝経義疏』**の編纂を命じた際も、孔穎達はその文中に道徳的な意をこめて諫言の意志を表し、いっそう強く道を正すよう訴えた。
これを聞いた太宗李世民は、二人の忠言を大いに喜び、それぞれに帛五百匹と黄金一斤を与え、太子への教訓とした。
書き下し文
貞観中、太子承乾、しばしば礼度を虧(そこな)い、侈(おご)り縱(ほしいまま)なること日々甚だし。太子左庶子于志寧、『諫苑』二十巻を撰し、これを以て諷す。
時に、太子右庶子孔穎達、毎(つね)に顔を犯し諫(いさ)める。太子の母安夫人、穎達に謂(い)いて曰く、「太子長ぜしに、何ぞ宜しく屢(しばしば)面に折(せっ)すべけんや」と。対えて曰く、「国の厚恩を蒙(こうむ)り、死すとも悔い無し」。諫言ますます切なり。
太子、穎達に**『孝経義疏』**を撰せしむる。穎達また文を因(よ)りて意を見(あらわ)し、いよいよ規諫の旨を広む。
太宗、これを嘉(よみ)して、二人に各々帛五百匹・黄金一斤を賜い、承乾を勧むるの意を示す。
現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 貞観年間、皇太子・承乾はたびたび礼儀を損ない、ぜいたくや奔放な振る舞いが日ごとに悪化していた。
- これを見た左庶子・于志寧は、『諫苑』二十巻を編み、文をもって諷刺しつつ諫めた。
- また、右庶子・孔穎達は、太子の面前で率直に諫言した。
- 太子の生母・安夫人は「太子も成長しているのだから、面と向かって何度も叱責するのは控えるべきでは」と言った。
- これに対して孔穎達は、「国家から大恩を受けた身ですから、命を失っても悔いはありません」と答え、ますます厳しく諫めた。
- その後、太子が『孝経義疏』の執筆を命じたときも、孔穎達はその文章の中に諫意を込め、道徳的訓戒をより深く述べた。
- 太宗は二人の行いを称賛し、それぞれに多額の恩賞を与えて、太子への警戒と訓戒の意とした。
用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
虧礼度(きれいど) | 礼儀や規律を損なうこと。 |
侈縱(ししょう) | 贅沢で放縦なこと。 |
庶子(しょし) | 東宮(太子府)に仕える高官で、太子の補佐役。 |
顔を犯して諫む | 権威を恐れず、面と向かって正しいことを述べる行為。 |
諫苑 | 諫言をまとめた書。 |
孝経義疏 | 『孝経』の注釈書。孝の徳目を中心に説いた経典。 |
帛五百匹・黄金一斤 | 高額の報奨。国家の重恩の象徴。 |
全体の現代語訳(まとめ)
太子承乾の行動が日に日に逸脱していく中、補佐官の于志寧と孔穎達は、それぞれ書物や直接の言葉によって強く諫言した。孔穎達は承乾の母に諫言の理由を問われても「死んでも悔いなし」と答え、忠義を貫いた。その姿勢は、太子が命じた儒学書の中にも現れ、行間に徳の在り方を諭す意志が込められていた。これを見た太宗は二人の忠誠と諫言を評価し、彼らに大いなる恩賞を与えた。
解釈と現代的意義
この章句は、忠臣の勇気とリーダー教育の倫理を鮮やかに描いています。
- 真に忠義ある補佐役は、上位者の怒りを恐れず、「間違いを正すことが恩返し」だと信じる。
- 書を通しての諷刺(風諭)と、面と向かっての直言という、二つの諫言のスタイルが併存している。
- リーダー教育では、「耳障りな真実」を伝えることができる存在を持つことが、堕落防止につながる。
ビジネスにおける解釈と適用
- 「忖度せずに諫める人材こそ、組織の宝」
上に立つ者が過ちを犯した時、止める者がいなければ組織は必ず傾く。 - 「批判ではなく“正しく導く工夫”」
文書・仕組み・メッセージに「風諭的」要素を盛り込むことで、直接的に角が立たず効果をもたらす。 - 「上司が“ありがとう”と報いる文化」
忠言を歓迎し、感謝と報酬をもって応える上層部がいるかどうかで、組織風土は大きく変わる。 - 「母親(家族)による擁護 vs 公的責任」
個人的情(親や家族の感情)に流されず、職責と倫理で動く補佐役の姿勢は、現代の企業でも重視されるべき。
ビジネス用心得タイトル
「忠言は苦しみにあらず──進言こそが真の補佐」
この章句は、「補佐役の倫理」「直言と間接的な教育」「リーダー育成」「恩賞による称賛と評価」など、多くの観点で現代的示唆を与えてくれます。
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