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頂に立っても、裸足で歩いた日を忘れるな

—栄光の上に奢るより、苦労の記憶を力とせよ

高昌国を平定した宴の席で、太宗は自らを戒めた。
「驕りを慎み、正直な諫言を受け入れ、つまらぬ者の言を退け、賢者を用いてこそ、国は安定する」と語る。

それに対して魏徴は、斉の桓公とその臣下・鮑叔牙の故事を引き、「乱世を治めた君主ほど、初志を忘れがちになる。だが、陛下が今日まで慎みを失わぬのは、天下の幸いです」と応じる。

太宗は深く感謝し、「私は粗衣の頃の心を忘れぬ。そなたも、鮑叔牙のような忠臣の志を忘れぬでいてくれ」と語った。


原文(ふりがな付き引用)

「昔(むかし)、齊桓公(せいかんこう)と管仲(かんちゅう)・鮑叔牙(ほうしゅくが)・甯戚(ねいせき)と四人、酒を酌(く)み交(か)わす。
桓公(かんこう)曰く、『叔牙(しゅくが)よ、起(た)ちて我(われ)が寿(ことほ)ぎをしてくれ』。
叔牙(しゅくが)起(た)って曰く、
『願(ねが)わくは、公(こう)、莒(きょ)に在(あ)りし時の困(くる)しみを忘(わす)るなかれ。
管仲(かんちゅう)に魯(ろ)に縛(ばく)されし時を忘れしむるなかれ。
甯戚(ねいせき)に牛車(ぎゅうしゃ)の下に飯(い)を与(あた)えし時を忘れしむるなかれ』」


注釈

  • 高昌国(こうしょうこく):新疆トゥルファンの漢人王国。唐に臣従せず滅ぼされた。
  • 黜邪佞(ちゅつじゃねい)・用賢良(ようけんりょう):邪悪なおべっか者を退け、賢く正しい者を用いること。
  • 張良(ちょうりょう)・高祖(こうそ):漢初の名参謀と皇帝。徳治に長けながらも即位後の逸脱があった。
  • 莒(きょ)・魯(ろ)・甯戚(ねいせき):桓公の亡命地、管仲の囚われの地、甯戚の貧窮の時の象徴。

教訓の核心

  • 成功のときこそ、初心と苦労を思い出せ。忘れれば、奢りが始まる。
  • 臣下は、過去の苦難を思い出させる「歴史の証人」でなければならない。
  • 善政の基盤は、戒めと記憶の持続にある。
  • 歴史に名を残すのは、栄華ではなく「慎み深さ」である。
目次

対象章句(貞観十四年)

貞觀十四年、太宗以高昌(※西域の国)の滅亡を受けて、侍臣に宴を賜い、兩儀殿にて語って曰く
「高昌もし君臣の礼を失わずば、どうして滅亡に至っただろうか。一国の命運とは、常に危ういものである。ゆえに、驕逸を戒め、忠義をもって自らを正し、邪悪な佞臣を退け、賢良な者を用いるべきだ。小人の言をもって君子を論じてはならぬ。このように慎んで守れば、かろうじて安泰を得られよう」。

魏徵曰く
「臣の見るところ、古の明君は乱を鎮めて国を起こすときは常に戒慎に努め、草莽の意見でも聞き入れ、忠言を喜んで受け入れました。
しかし天下が安定すると、欲に耽り、諂言を喜び、直言を嫌うようになります。
張子房(張良)は漢の高祖の謀臣ですが、高祖が嫡子を廃し庶子を立てようとした際、張良は『今やこの事は口先で争えるものではありません』と言って止めることを控えました。
陛下の功績・徳業は漢祖にも勝るものでありましょう。即位して十五年、徳の光はすでに広く及んでいます。今また高昌を滅ぼされました。
かくしてなお、安危を心に留め、忠臣を登用し、直言を歓迎されようとしているならば、天下にとってこの上ない幸いであります。
昔、斉の桓公が管仲・鮑叔牙・寧戚らと酒を酌み交わしていた時、桓公が叔牙に言いました。『立って寡人のために寿(ことほ)いを述べよ』。
叔牙は酒杯を手に立って言いました。『願わくば、殿がかつて莒(きょ)に在った頃の辛苦を忘れ給わず、管仲が魯に捕らわれ縄で縛られていた頃のことを忘れ給わず、寧戚が牛車の下で歌っていた頃のことを忘れ給わずにおられることを』。
桓公は席を離れて深く礼を言い、『我と二人の大夫が、そなたの言を忘れなければ、社稷(国家)に危機はない』と語ったのです」。

太宗はこれを聞いて魏徵に言った
「もし私がまだ布衣(民間)の時であったなら、あなたはきっと叔牙のようにはできなかったであろう」。


1. 書き下し文

貞観十四年、高昌を滅ぼした後、太宗は侍臣を兩儀殿に招いて宴を開き、房玄齡に語った。
「高昌がもし臣としての礼を失っていなければ、国が滅ぶことはなかったろう。一国とは、常に危ういものであり、自ら驕りに陥らぬよう注意すべきだ。忠義をもって自らを正し、邪な者を退け、賢良な者を登用し、小人の讒言により君子を論じてはならない。慎んで守ることによって、かろうじて安泰が得られるだろう」。

魏徵が言った。
「昔より帝王が乱世を収めたときは、自らを戒め、庶民の意見すらも取り上げ、忠言を歓迎した。だが天下が安定すると、欲をほしいままにし、諂言を喜び、正直な意見を嫌うようになる。
漢の張良は、高祖が嫡子を廃そうとしたとき、『今となっては、言葉では争えません』として直言を控えた。
陛下は漢高祖に比べても徳が高く、すでに即位十五年となり、功業は天下に及ぶ。しかもいまだ安危を忘れず、忠臣を用い、直言を受け入れようとされるのは、天下の幸いである。
昔、斉の桓公が管仲・鮑叔牙・寧戚と酒を酌み交わしたとき、叔牙が言った。『かつてのご苦労、そして管仲や寧戚の不遇を忘れぬことを』と。桓公は感謝し、『そなたの言を忘れぬかぎり、社稷は安泰である』と述べた」。

太宗は答えた。
「もし私がまだ一介の平民であったなら、そなたは叔牙のように私に忠言などしなかったであろう」。


2. 現代語訳(まとめ)

貞観十四年、太宗は西域の高昌国を滅ぼしたことに際し、自らの臣下とともに国家運営の要諦について語り合った。太宗は「国家の滅亡は、驕りや小人の言に惑わされることから始まる」として、謙虚さと正義を守るよう説いた。
魏徵はそれに応えて、「国が安定したときこそ、諂いを退け、忠言を重んじるべきである」と過去の例(漢の張良や斉の桓公とその臣)を挙げて強調した。


3. 用語解説

  • 高昌:現在の中国新疆にあったオアシス国家。唐により滅ぼされた。
  • 黜邪佞・用賢良:邪悪で諂う者を退け、賢明な人物を登用するという政治理念。
  • 張子房(張良):漢の高祖・劉邦の謀臣。知謀に優れた賢人。
  • 桓公・管仲・鮑叔牙・寧戚:春秋時代の斉国の君主とその名臣たち。
  • 布衣:平民、役職にない者の意。
  • 社稷:国家の象徴。国家そのもの。

4. 解釈と現代的意義

この章句は、組織の成功が持つ内在的な危険性を示しています。国家にしろ企業にしろ、安定・繁栄した後こそが最も危うい。だからこそ、

  • 成功の原点を忘れず
  • 忠言を歓迎し
  • 驕りを慎み
  • 賢者の意見を尊重する

といった基本が必要であることを語っています。魏徵は、歴史を引き合いに出し、リーダーが謙虚さを保ち続けるべきだと強調しています。


5. ビジネスにおける解釈と適用

  • 成長した組織こそ、自己警戒が必要
    拡大・成功後の企業は、気づかぬうちに慢心や惰性に陥る。そこで本音を語る参謀役の存在が不可欠。
  • 成果の裏にある「原点」を忘れない
    過去の苦労・原点を語り合い、理念を忘れないことがリーダーに求められる。
  • イエスマンではなく、耳の痛いことを言える人を登用する
    忠言を受け入れる器量がトップの命運を左右する。
  • 小人の噂話や陰口で判断しない
    「小人の言で君子を論ずるなかれ」という教訓は、人事評価や組織運営の鉄則とも言える。

6. ビジネス用の心得タイトル

「栄華の時こそ、原点を忘るるな」


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