ある会社の社長が管理職を集めて、「仕事をスムーズに進める上で障害となっているものは何か」と問いかけた。最初に発言した課長は、「人間関係がうまくいっていないこと」と答えた。すると、他の全員も同じ意見を口にした。
社長はこう言った。「君たちはなんて愚かな考え方をしているんだ。よく考えてみろ。親子や兄弟、夫婦ですら意見が食い違ったり、お互いの立場を理解できないことがある。それなのに、生まれた場所も違い、育った環境も異なり、年齢も性格も好みもバラバラな人々が集まる会社で、人間関係がうまくいかないのは当たり前じゃないか。むしろ、争いや摩擦がない方が不自然なんだよ。」
「少しくらいのことはお互いに我慢する必要がある。だから、人間関係が良くないからといって仕事がうまくいかない、なんて言っていても意味がない。それよりも、仕事をうまく進めるにはどうしたらいいかを考えるべきだ。そのための方法として、まずは一言頼むんだ。頼みもせずに『協力してくれない』なんて言うのは間違っている。今後はそうしろ」と社長は告げた。これこそが「指導」というものだろう。実に見事な指導である。その場の全員が「社長の言う通りだ」と納得し、話はすっかり収まったのだった。
こんなことが起こる理由は、戦後にアメリカから導入された人間関係論を少し学んだ結果、それが仕事がうまくいかない時の言い訳として利用できると気づいてしまうからだ。
人間関係論の起源は、1929年から3年間にわたって、シカゴ郊外にあるウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場でエルトン・メイヨーのグループが行った労働者観察の結果(?)にある。この観察の対象となったのは、リレー組み立て作業を行う6〜7名の女性労働者だった。つまり、会社の中でも最も下層に位置する人々を対象にしたものだったのだ。
それは、非終身雇用制のもとで単調な繰り返し作業しか与えられず、いつ解雇されるかわからないという不安に怯えながら、監督者の顔色を伺い、神経をすり減らして日々を過ごしていた労働者たちのことを指している。
そういった労働者たちに対し、「あなたたちは会社にとって大切な存在です。意見があればどんどん言ってください。不平や不満があれば申し出れば解決します。会社はあなたたちを必要としているのです」と訴えるのが人間関係論というものだ。だからアメリカでは、この人間関係論を「ブルーカラー層のみを対象としたもの」と明確に位置づけているのである。
それにもかかわらず、日本の人間関係論者たちは、この理論の背景や本来の対象を無視して、人間関係論だけを切り取って使用している。社会的評価や労働階層の違いなどは全く考慮されず、会社の中の全ての人々を対象に適用しようとしているのだ。その結果、本来の意図や効果を失い、ただの表面的な理論として扱われてしまっている。
さらに、「人間関係を良好にすることこそが企業繁栄の鍵だ」と主張するに至っている。この人間関係至上主義は、ついには事業経営そのものよりも優先されるほどにエスカレートしてしまったのだ。
「会社の業績が上がらないのは人間関係が悪いせいだ。その人間関係を改善しようとしない社長は無責任だ」とでも言いたげな論調になっている。
誰もが人間関係が良好である方が望ましいと考えるため、この理論には一定の説得力がある。その結果、人々は人間関係論者の教えに従い、懸命に人間関係を改善しようと努力するようになる。
しかし、私はこれまでに、人間関係論を実践して人間関係が改善されたとか、業績が向上したという話を聞いたことがない。むしろ、「人間関係がかえって悪化した」や「不平不満が増えて困っている」という話ばかりが耳に入ってくる。こうした現状を踏まえると、人間関係論は明らかに誤った理論であると解釈せざるを得ない。
この状況は日本に限ったことではなく、本家であるアメリカでも人間関係論には圧倒的な批判が寄せられている。現在では、ごく一部の人間関係論者たちのオモチャのような存在になってしまっている。それにもかかわらず、この誤った理論は戦後の日本企業に広く深く浸透してしまい、今でもこれを振りかざす一部の観念論者が存在する。その結果、会社内部にさまざまな害毒を流し続けているのだ。
人間関係論の主張は、大きく三つに分けられる。第一に、摩擦を極端に嫌う姿勢がある。第二に、部下の自由意思を徹底的に尊重すべきだとする考え。そして第三に、不平不満は必ず解決してやらなければならないという主張だ。これら三つは、人間という生き物の心理や行動を無視したものに過ぎないだけでなく、事業経営にとって重大な障害となり得ることを全く理解していない、自己満足的な理論と言わざるを得ない。
その二つの誤りについて詳しく知りたい場合は、拙著『社長学シリーズ』第七巻「社長の条件」の「不平不満の生産者」という章(283頁)を参照してほしい。そこで、具体的に問題点を解説している。
伝統的組織論の話はこれくらいにしておくが、要するに、事業経営においては百害あって一利もないものである。その理由は、この理論が「変化を阻止する」という基本的な特性を持っていること、そして人間性を深く掘り下げて理解することが全くできていない点にある。
私たちは、伝統的な組織論を完全に捨て去る必要がある。そして、事業経営の実際的な必要性に基づき、真に役立つ組織論をゼロから新たに構築していかなければならない。これこそが、現代の経営において求められる最重要課題である。
新しい組織論は、「事業とは顧客を創造する活動である」という基本認識を土台に据え、変化に迅速に対応できる機動力と、柔軟に適応できる弾力性を備えたものでなければならない。この視点を持つことで、組織は真に価値を生み出す存在へと進化できるのである。
さらに重要なのは、「社長はいかに組織を管理し、人々を指導したらいいか」という根本的な命題に明確に答えられる組織論であることだ。この問いに応えることで、組織は単なる枠組みを超え、生きた力となり得るのである。
そこで本書では、これらの要請に応える新しい組織論を論じる前に、「社長として、組織を指導する上で必要なものは何か」という根本的なテーマについて考察することにする。この問いを明らかにすることで、組織論の土台をより確かなものとすることができるはずだ。
人間関係は事業経営に優先しない
企業の業績が思うように向上しない原因を「人間関係が悪いからだ」と考える傾向は根強い。しかし、0社の社長が指摘した通り、仕事を進めるうえでの障害をすべて「人間関係」に帰すのは本質を見失っている可能性が高い。生まれも性格も異なる人々が集まる場で意見の相違が生じるのは当然であり、それを問題視していてはキリがない。
戦後に輸入された「人間関係論」の弊害
人間関係論は、1929年からアメリカのホーソン工場で行われた実験に基づいており、ブルーカラーの労働者の労働環境改善を目的に発展したものだ。しかし、この理論が「人間関係こそが企業の繁栄の鍵である」という誤解のもとに、日本のホワイトカラーや経営層にまで広がった。結果として、業績向上の本質が「人間関係の改善」とされてしまうなど、事業の本来の目標である「顧客満足の創造」が置き去りにされがちだ。
人間関係論の三つの問題点
- 摩擦を極端に嫌う:人間関係論は対立や摩擦を避けるべきものとしているが、意見の対立が必ずしも悪いとは限らない。対立は新しい視点や問題解決の糸口を生み出すこともある。
- 部下の自由意思の尊重:部下の自由を尊重するという考え方は一見魅力的だが、過度な自由が優柔不断や責任逃れを助長することもある。事業の目標達成には、時に指示や指導が必要な場面も多い。
- 不平不満の解消が必要:不満を解消することに注力しすぎると、問題の本質に取り組むことが疎かになる。業務改善が求められる場面であっても、不平の解消に気を取られ、根本的な解決策が見えなくなってしまうことが多い。
事業経営に必要な組織論
人間関係を事業経営の中心に据えるのではなく、企業が柔軟に変化に対応し、顧客のニーズに応えるための組織体制が必要である。事業とは「顧客を創造する活動」であるという基本認識に立脚し、組織はこの目標のためにこそ機動力を持たなければならない。
社長が求められる組織指導の視点
社長は、組織全体が効率よく顧客の要求を満たす方向に動くために、明確な指導方針を示し、人間関係に捉われることなく事業経営に集中することが重要である。
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