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欲を離れ、孤独を喜びとせよ


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■引用原文(仮訳)

修行僧らよ。
汝らは悪いことがらを捨てて、善いことがらを行なえ。
家から出て、家の無い生活に入り、孤独に専念せよ。
すぐれた人は欲楽をすてて、無一物となり、
その境地を楽しめ。

※この言葉は『ダンマパダ』第87〜89偈の教えに近く、また『バガヴァッド・ギーター』第6章(ヨーガの修行者は孤独に心を鎮める)および第5章・第2章における欲望からの自由・行為の浄化の思想と重なります。


■逐語訳(意訳)

修行者たちよ、
汝らは悪を断ち、善を実践せよ。
家という執着と欲望の場を離れ、
孤独の中に身を置いて、心を専らにせよ。

真にすぐれた者は、
欲望を捨て、物に執着せず、
静かな精神の境地そのものを喜びとする。


■用語解説

  • 悪いことがら/善いことがら:仏教・ギーター共通のカルマ的概念。悪=迷い・怒り・欲、善=誠実・克己・慈悲。
  • 家のない生活(出家):文字通りの出家だけでなく、「内的な自由」を得る比喩。
  • 孤独に専念:外界から離れ、自己と向き合うことに集中する修行的態度。
  • 無一物となる:所有・執着を完全に離れた心の境地。
  • その境地を楽しめ:物質的快楽ではなく、精神の静寂を悦びとする智慧の境地。

■全体の現代語訳(まとめ)

修行者よ、悪しき行為を捨て、善なる道に励みなさい。
家庭や執着の場を離れ、孤独と沈黙の中に身を置き、
心を静かに保ち、ただ真理に向き合いなさい。

真の賢者は、欲や財物を持たずとも、
静かなその心の境地を、最高の悦びとするのである。


■解釈と現代的意義

この教えは、内面的な自由こそが真の幸福であるという古代からの洞察です。
現代において「出家」や「無一物になる」ことは象徴的に捉えられ、
物に囲まれていても、心が物に縛られていない状態こそが理想とされます。

孤独に専念するとは、他者を遠ざけることではなく、
自分の内面と誠実に向き合うという意味に転じられます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
ミニマリズム経営過剰な所有・執着ではなく、本質を見極めたシンプルな運営が、長期的成功をもたらす。
内省と成長外の情報に振り回されず、孤独な思索と振り返りによって、深い意思決定ができる。
リーダーの修養私欲ではなく、無欲と誠実を軸とした判断が、部下や社会からの信頼を築く。
ワークライフの調律所有や成果ではなく、心の安定そのものを価値とする視点が、持続可能な働き方を支える。

■心得まとめ

「外のものを捨てて、内なる静寂を得よ」

所有や快楽を積み上げるのではなく、
手放すことで得られる静けさと自由――
それこそが、真の賢者の悦びであり、
修行の果てにたどり着く境地なのです。

現代に生きる私たちもまた、
日々の喧騒の中で立ち止まり、
“無一物”の境地に、
ほんのひととき身を浸すことが必要です。


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