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迷いを喜ぶかぎり、苦しみは離れず――捨てる勇気が、仏に近づける


目次

📜引用原文(日本語訳)

第三五偈
ひとが喜ぶところのものは、迷いの生存である。
かれは苦しみを忌み恐れる。
迷いの生存を捨てるために、清らかな修行をするならば、
その人はわが近くにいる。
― 『ダンマパダ』 第二章 第三五偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • ひとが喜ぶところのものは、迷いの生存である:多くの人は、繰り返す生と死(サンサーラ)=この世の執着の中に喜びを見出している。
  • かれは苦しみを忌み恐れる:しかし同時に、苦しみや痛みは避けたいと願っている。
  • 迷いの生存を捨てるために、清らかな修行をするならば:その矛盾を乗り越え、執着を捨て、真剣に心を清めようと修行する者は、
  • その人はわが近くにいる:その人こそが、仏の教えの本質に近づく存在である。

📚用語解説

用語解説
迷いの生存(サンサーラ)欲望・執着によって続く生死の繰り返し。いわば「苦しみの輪廻」。
苦しみ(ドゥッカ)生老病死に象徴される、人生の根本的な不満足。
清らかな修行(ヴィスッダ・サマーチャーラ)欲や怒りなどの汚れを離れた、心と行いの浄化を目指す実践。
仏の近くにいる真理の理解に近づいている。解脱に向かう正しい歩みをしている状態。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

人々は、執着と欲望に満ちた日常の中に喜びを求めながら、
同時にその中に潜む苦しみや不安を恐れている。

しかし本当に苦しみから逃れたいならば、
その根源である「迷いの生存」そのものを手放さなければならない。

もしそれができるならば、
その人は仏の教えの真意を理解し、
真の解放に近づく存在なのである。


🧠解釈と現代的意義

この偈は、人間の根源的な**「矛盾」**を鋭く描いています。
私たちは、執着することで得られる快楽を求めながら、
それによって生まれる不安・苦しみは排除したいと願っています。

たとえば――

  • もっとお金が欲しい、でも働くのは苦しい。
  • 認められたい、でも競争や批判は怖い。
  • 現状を維持したい、でも不満はある。

このような「両立しえない欲望」の中で苦しんでいるのです。

本当に苦しみをなくしたいなら、
苦しみを生む根を断たねばならない――それがこの偈の核心です。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
中途半端な変革志向の矛盾変わりたいけれど、リスクや面倒は避けたい。――この状態では変革は実現しない。
執着からの脱却による自由な意思決定利益や地位への執着を手放すことで、倫理的かつ長期的な判断が可能となる。
ストレス源を喜んでいることに気づく忙しさ・評価・競争に苦しんでいる一方、それらが「アイデンティティ」になってしまっているケースを再認識。
真の学びとは「捨てること」新しい知識を加えることよりも、古い信念・執着を手放すことの方が、深い成長に繋がる。

✅心得まとめ

「迷いを愛しながら、苦しみを嫌う者は、いつまでもその炎の中にある」
「苦しみを恐れるならば、その源である執着を手放せ」

「世間の喜び」を保ちつつ、
「仏の安らぎ」も得ようとすることはできない。

手放す者だけが、本当の近さを得る――
それが“仏の側”に立つということ。

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