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死を恐れず、生まれ変わりの旅を知れ

「人は死んだら、どこへいくのか?」
この問いは、誰にでもふと浮かぶ。
子どもの頃にも、大人になってからも、ふとした瞬間に心に入り込んでくる。

テレビで笑っているとき、不意にやってくる。
「今、この楽しい時間も、いつか終わるのだろう」と。

そうして思考は広がる。
天国や地獄、星になる説、ただの無になる想像――
いずれも確かな答えがないまま、時間は過ぎていく。

だが、『バガヴァッド・ギーター』はこの問いに静かに応える。
「アートマン(真我)は、古い衣を脱ぎ、新たな衣をまとうように、身体を変え、生まれ変わる」(第2章22節)

身体は衣服にすぎない。
本当の自分は、肉体ではなく、その奥にある変化しない意識=アートマンである。
死とは、その衣を脱ぐこと。
そして、新しい衣をまとって、再びこの世界に姿を現すこと。

この旅のことを、**サムサーラ(輪廻)**と呼ぶ。

だがこの輪廻は、思いのままではない。
次にどこへ向かうかは、今世での**カルマ(行い)**によって決まる。
高い世界へ行くこともあれば、より低い世界へ堕ちることもある。
人間に再び生まれられる保証すら、どこにもない。

「主(アートマン)は身体を離れる時、感官(カルマの痕跡)を連れていく」(第15章8節)
つまり、私たちがこの生で経験したあらゆる記憶や傾向が、
風が香りを運ぶように、次の人生にも引き継がれていく。

この事実を知れば、何が本当に自分の財産かが見えてくる。
金でも、モノでも、地位でもない。
「どのように生きたか」「何を学んだか」「何を心に刻んだか」
それが、次の衣にも影響を及ぼすのだ。

死を考えるとき、不安が生まれるのは当然だ。
だが、その不安は無知から生まれる。
死が終わりではなく、変化のひとつであると知れば、恐れは静かに後退する。

アートマンは滅びない。
私たちは消えるのではなく、ただ形を変えるだけである。

だからこそ、外にばかり救いや意味を求めるのではなく、
内側にある「私とは何か」を問うことが、最も重要な旅の始まりとなる。

「自分が誰か」を深く知れば、
死もまた、流れの一部として受け入れられるようになる。
そして、生きることに対しても、もっと真摯になれる。

今の行いが、次の人生を形づくる。
今の理解が、次の扉を開いていく。

輪廻とは、恐れるべきものではない。
**「意識の旅路」**として、丁寧に向き合うべきものである。

人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、主体(※アートマンのこと)は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く。(第 2章 22節)

主(※アートマンのこと)が身体を獲得し、また身体を離れる時、彼はそれら(の感官)を連れていく。風が香りをその拠り所から連れ去るように。(第 15章 8節)

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