H社の営業担当役員は、15年もの間、福岡営業所の所長を務めていた。その影響で、まるで体の隅々まで福岡営業所長という肩書きが染みついてしまったかのような状態だった。「福岡営業所のことなら任せてくれ」といった様子で、営業担当役員としての職務を十分に果たすことができなかったのだ。実際のところ、「本社勤務の福岡営業所長」といった立場にとどまっていたに過ぎない。
K社は全国に4つの営業所を展開しているが、K社長はこう語っている。「一倉さん、うちの社員は一つの営業所に勤務する期間を2年以内と決めています。ただ、『2年ではやっと環境に慣れて、これからという時に転勤になるのは……』と不満を漏らす社員もいるんですよ」。
確かに、異動直後はこうした意見がもっともに思える場面もある。しかし、長い目で見れば、そのデメリットを大きく上回るメリットがあるというのが私の実感です」とK社長は語っていた。
N社は製造業の企業だ。N社長の方針では、管理職に計画的な異動を実施し、複数の部門で管理職としての経験を積ませている。その効果は明らかで、能力の面でも、人間的な幅の広さでも、物事の考え方においても、たまたま一つの部門しか経験していない管理職とは大きな違いが生まれると語っていた。
人間は経験を通じてさまざまなことを学び、成長していく。限られた経験しか積んでいない人間は、どうしても視野が狭くなり、狭い考え方しかできなくなる。一方で、会社が求めるのは、広い視野と柔軟な発想を持つ人材だ。
この点については誰も異論はないだろう。しかし、いざ現実の問題となると、「そんなに簡単に異動させるわけにはいかない」という話になるのが常だ。
特に中小企業では、人員が限られているため、「分かっていても実行できない」という状況に陥りやすい。これは目先のデメリットに目が行ってしまうからだ。
さあ、ここが考えるべきポイントだ。人が経験を通じて成長するといっても、会社内の特定の部門の仕事というのは、どうしても範囲が限られている。
「二付き三年」という言葉がある。これは、仕事に慣れるまでにおおよそ三か月かかり、その後落ち着いて働けるようになるが、三年も経つと慣れすぎて新鮮さや感動を失い、転職を考える人が増えるという現象を指している。
新しい仕事に就いたときは、気持ちも新たに「よし、やってやるぞ」と意気込んで、一生懸命取り組むものだ。しかし、同じ仕事を2年も続けていると、業務の範囲が限られていることもあり、大抵のことは一通りこなせるようになる。そうなると、新たな努力をしなくても日々の仕事が回せるようになってしまう。
こうした状況は、仕事への情熱を失わせ、惰性とマンネリに支配された日々を「大過なく」過ごすだけになってしまう。これが非常に危険なのだ。しかし、人間である以上、新しい刺激がなければ、マンネリに対する批判や意見をどれだけ口にしても、実質的な効果は期待できない。
このような状態に陥った社員をそのまま同じ職務に置き続けることは、成長の可能性を秘めた人間の成長を根本から止めてしまうことになる。これは、本人だけでなく、会社にとっても大きな損失だ。
人的資源を充実させ、それを最大限に活用することこそ、会社の発展に直結するはずだ。しかし、目先の都合を優先する社長の便宜主義によって、その可能性が閉ざされてしまうことがある。それが、「慣れた人間やベテランに同じ仕事を続けさせる」という選択だ。
そこに根付いているのは、「慣れている人間なら仕事をうまくこなすだろう」という誤った考え方だ。確かに、一見すると無難に仕事を進めているように見えるかもしれない。しかし、そこには情熱も新鮮な挑戦心もなく、ただ流れ作業のようにこなしているだけなのだ。
もうお分かりだろう。会社に新しい風を吹き込み、活力を高めるのは、新事業や新入社員だけではない。人事異動にも大きな効果があるのだ。異動によって新しい環境に置かれる本人が意欲を新たにするだけでなく、その変化が周囲にも刺激を与え、思わぬ「波及効果」を生み出すことがある。
M社にお手伝いした際のことだ。新事業として新商品開発がどうしても必要という状況になり、社内で人材の最有力候補と目されていた技術課長を開発課長に任命することにした。しかし、この人事を決めるにあたり、M社長は大いに渋った。「技術課に大きな穴があく」というのがその理由だった。
私は渋る社長を説得し、「行き詰まった現事業に人材を固定してしまうべきではない。優秀な人材だからこそ、新たな可能性に挑戦させるべきだ」と主張し、この人事を実行したのだ。
その結果、開発課長に任命した人物は社長の期待を上回る成果を出してくれただけでなく、新たに技術課長に就任した人物も大きく成長し、技術課の穴をあっという間に埋めてしまった。それどころか、以前の技術課長とは異なる新しい視点やアイデアを取り入れ、技術課全体に新たな魅力を生み出したのだ。
優秀な人材は、その能力ゆえに所属する部門を円滑に運営する。それ自体は素晴らしいことだ。しかし、だからといって便宜主義に基づき、その人材をいつまでも同じ部門に留め続けるのは問題だ。結果的に、その人材自身の成長を止めてしまうだけでなく、さらに深刻なのは、その人材が上に居座ることで、伸びる可能性を秘めた新人たちの芽まで摘んでしまうことになる。
このような状況は、優秀な人材自身の成長が止まるという損害だけでなく、その下に隠れている次世代の人材が育たないという、二重の損害をもたらす。そして、その損害は往々にして誰にも気づかれないまま進行する。人材の下には、さらに多くの可能性を秘めた人材が埋もれていることを理解し、育成の機会を与える必要があるのだ。
ここまでくれば、社長が人事異動をためらう理由はもうないはずだ。異動直後に生じるわずかな業務の停滞など恐れるべきではない。それを躊躇した結果、「一文惜しみの百文失い」になるリスクの方がはるかに大きい。むしろ、長期的な視点で人材の成長と組織の活性化を見据え、人事異動を積極的に行うべきだ。
異動に伴う障害や制約条件などは、決意さえ固まればどうにでも解決できるものだ。重要なのは、そうした問題を言い訳にせず、思い切って踏み切ることだ。「適性が合うか」「経験が足りない」「後が困る」といった理由を挙げて躊躇していては、結局何も進められない。行動しなければ変化も成長も起こらないのだ。
人事異動の障害は、当人自身の問題に限らず、上役からの反対にも表れることがある。特に優秀な部下を異動させる場合、「彼がいなくなると仕事に支障を来す」といった声が上がるものだ。しかし、これに屈してしまったら、社長としての価値が問われる。こうした反対は完全に上役のエゴであり、断固として許してはならない。その際には、「なるほど、君が職務を遂行できたのは彼の力であって、君自身の力ではなかったのだな」と毅然と言い放つべきだ。エゴに負けるわけにはいかない。
人事異動は、定期的に行うのが最善だ。これをあらかじめ方針として明確に示し、「一つの職務のタイムリミットは2〜3年」と定めておくことで、マンネリ化を防ぎ、社員の成長を促進できる。この仕組みが、会社全体の活力と人材育成に直結するのである。
管理職ではない社員の場合、特別な理由がない限り部門を異動させるのは難しい。しかし、担当する仕事の内容を変えることで、異動に近い効果を得ることができる。この方法によって、その部門内の業務や技術を数年で幅広く習得できるようになる。また、リリーフマンとして活躍できるため、欠勤者の穴埋めにも役立つ。
さらに、この経験は管理職への昇進条件の一つを満たすことにもつながるため、本人のキャリア形成にも寄与する。一つの取り組みで、業務の効率化、社員の成長、将来の管理職候補の育成という、一石二鳥にも三鳥にもなる成果を生み出せるのだ。
この取り組みは、社長が自らの方針として明確に掲げ、管理職に実行させなければならない。そうでなければ、管理職は目先の仕事の遅れを恐れ、実行に踏み切らない可能性が高いからだ。社長自身がリーダーシップを発揮し、この方針を徹底することで初めて、組織全体に効果的な変化をもたらすことができるのだ。
定期的な人事異動の実施について、この文章では多角的な効果と重要性が述べられています。特に、社員の成長と会社全体の活性化のために異動がいかに必要であるかが強調されています。以下、要点を整理します。
人事異動の重要性と効果
- マンネリを防ぎ、社員の成長を促す
- 同じ職務を長く続けると、情熱や新鮮な意欲が薄れ、業務が単調化しがちです。人事異動により、社員が新たな役割に取り組む意欲が湧き、業務に対する情熱が再び高まります。
- 異動を通じて異なる経験を積むことで、社員の視野が広がり、より多角的な思考ができるようになります。
- 人材の潜在力を引き出す
- 優秀な人材が一つの部門に長く留まると、その下にいる新人が伸びにくくなるという弊害があります。異動により、優秀な人材は新たな役割で活躍し、元の部門では新たなリーダーが成長する機会が生まれます。
- その部門に長年留まっていた社員を異動させることで、組織全体の能力が底上げされ、複数の社員がそれぞれのポジションで能力を発揮できるようになります。
- 組織内に新風を吹き込む
- 定期的な人事異動は、会社内の活気を生み出し、新しいアイデアや取り組みを呼び起こします。新たな職場で得た経験や視点が部門にもたらされ、他の社員にも良い刺激となります。
異動の実施における考え方
- 短期的なデメリットを恐れない
- 異動直後は一時的に業務が停滞する可能性がありますが、長期的には多くのメリットがあると考え、積極的に実施すべきです。短期間の仕事の遅れを恐れるよりも、社員の成長や組織全体の活性化を優先します。
- 社内のエゴに打ち勝つ
- 上司が優秀な部下の異動に反対することがありますが、これは上司のエゴに過ぎません。社員が成長し、広範な能力を発揮できるようにするためには、こうした意見に妥協せず、異動を推進する必要があります。
- 定期的な異動の方針化
- 社内に「2〜3年ごとに異動がある」という方針を設定することで、社員が自分の役割を固定化せず、常に新しい挑戦を受け入れる姿勢を持ちやすくなります。また、定期異動を予め計画することで、社員の意識が新たな役割に向かいやすくなります。
管理職でない社員への異動
- 担当業務の変更で刺激を与える
- 管理職以外の社員についても、担当業務を適宜変更することで、仕事に新鮮さを与え、成長機会を提供します。異なる仕事に取り組むことで、スキルの幅が広がり、社内のリリーフ要員としても役立つようになります。
- 管理職登用の条件づくり
- 異なる職務経験を積ませることで、管理職としての条件を満たすようなスキルを養います。
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