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孝を軽んじた悔いは、一生拭えぬ


目次

礼を尽くすことは、心を尽くすこと

貞観十七年、太宗は側近たちに対し、亡き両親への喪において礼を尽くさなかったことを深く後悔していると語った。
「人間にとって最も痛ましいことは、親を失うことである」としながらも、帝王である自分が当時その痛みを深く受け止めきれず、形式に流れてしまったと自省する。

儒教における「三年喪」は、親への最大限の哀悼を示す礼。
孔子は、これは天子から庶民まで万人に共通する基本であると説き、また「高宗だけではなく、古人は皆そうした」と述べている。
しかし太宗は、後世の帝王たちがこの礼を軽んじるようになった実態を批判し、
自らもそれに倣ってしまったことを「悔いても悔やみきれない過ち」として、深く泣き崩れた。

真の孝とは、ただ形式的な追悼を超え、「悔いなき誠意」をもって生前から死後まで親に向き合うことにある。
後悔の涙は、礼を怠った心の痛みから流れる――この章は、その尊さと重さを私たちに教えてくれる。


出典(ふりがな付き引用)

「人(ひと)にして至痛(しつう)なる者(もの)は、親(おや)を喪(うしな)うに如(し)くは莫(な)し」
「三年(さんねん)の喪(も)は、天下(てんか)の達喪(たっそう)なり。天子(てんし)より庶人(しょじん)に及(およ)ぶまでこれを行(おこな)う」
「何(なん)ぞ必(かなら)ずしも高宗(こうそう)のみならん。古(いにしえ)の人(ひと)皆(みな)然(しか)り」
「昨(さく)に徐幹(じょかん)の『中論(ちゅうろん)』復三年喪(ふくさんねんそう)篇(へん)を見(み)るに、義理(ぎり)甚(はなは)だ深(ふか)し。早(はや)く此(こ)の書(しょ)を見(み)ざりしを恨(うら)む」
「但(ただ)自(みずか)ら咎(とが)め、自(みずか)ら責(せ)めるを知(し)るのみ。悔(く)いれども何(いず)くんぞ及(およ)ばん」


注釈

  • 三年喪(さんねんそう):親の死後、3年(実質27か月)にわたって喪に服す儒教の礼制。
  • 達喪(たっそう):「天下之達喪」とは、誰にでも共通の基本的な礼儀という意。
  • 高宗(こうそう):殷の名君。特に孝を尽くしたことで知られる。
  • 徐幹(じょかん)『中論』:後漢末の儒者。倫理と実践に重きを置いた論文集で知られる。
  • 疎略(そりゃく):不十分で、礼を欠いたこと。
  • 悔(く)いても及(およ)ばず:過ぎたことは取り戻せない、という深い後悔。

パーマリンク(スラッグ)案

  • regret-of-neglected-filial-piety(孝を怠った悔い)
  • mourning-with-sincerity(誠を尽くす喪の礼)
  • too-late-to-repent(悔やんでも遅すぎた)

この章は、親への敬意と感謝を、礼を通じてどう表すかを問うものであり、
家族を持つすべての人に深い教訓を与えてくれるものです。次章もご希望があれば続けて整理いたします。

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