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志を保ちながら、環境の力で心を整える

山深い林や、泉の湧く岩場――そうした自然の中を気ままに歩くことで、
世俗の煩わしさに染まった心も、次第に静まり清められていく。

また、詩や書の読書にふけり、絵画をゆったりと鑑賞するような時間は、
知らず知らずのうちに心を洗い、身に染みついた俗気を穏やかに取り除いてくれる。

もちろん、君子たる者がこれら趣味や風雅に溺れて「志(こころざし)」を失ってしまっては本末転倒だが、
だからといって、日々の生活の中で、良い環境の助けを借りて心を調えることを軽視してはならない。

志と修養は、両立すべきもの。
自然や芸術を通して磨かれた心は、より深くまっすぐな志を支える力となる。


引用(ふりがな付き)

山林(さんりん)泉石(せんせき)の間(あいだ)に徜徉(しょうよう)して、塵心(じんしん)漸(ようや)く息(や)み、
詩書(ししょ)図画(とが)の内(うち)に夷猶(いゆう)して、俗気(ぞっき)潜(ひそ)かに消(き)ゆ。
故(ゆえ)に君子(くんし)は、物(もの)を玩(もてあそ)びて志(こころざし)を喪(うしな)わずと雖(いえど)も、
亦(また)常(つね)に境(きょう)を借(か)りて心(こころ)を調(ととの)う。


注釈

  • 徜徉(しょうよう):ぶらぶらと歩くこと。自然に身をゆだねて心を解放する行為。
  • 塵心(じんしん):世俗の煩わしさや執着に染まった心。
  • 詩書図画:詩や書物、絵画などの文芸・芸術。心を養う手段。
  • 夷猶(いゆう):ゆったりと楽しむ。精神的にくつろぐこと。
  • 玩物喪志(がんぶつそうし):物に溺れて志を失うこと。典拠は『尚書』。
  • 境を借りる:よい環境(自然・芸術)を手段として心を整えること。

関連思想と補足

  • 『論語』にも「志は道に在り。拠(よ)るは徳に在り。依(よ)るは仁に在り。遊(あそ)ぶは芸に在り」(述而第七)とあるように、
     志・徳・仁・芸(芸術)は調和的に併存すべきものであるとされる。
  • また、『菜根譚』全体でも一貫して「淡泊さと趣味」が人生の深みを支えるものとして説かれる。
  • 「自然を歩き、詩に親しみ、絵を眺める」という穏やかな営みは、現代のストレスマネジメントやマインドフルネスとも共鳴する。

原文

徜徉於山林泉石之閒、而塵心漸息、
夷猶於詩書圖晝之内、而俗氣潛消。
故君子、雖不玩物喪志、亦常借境調心。


書き下し文

山林泉石の間に徜徉(しょうよう)して、塵心(じんしん)漸(ようや)く息み、
詩書図画の内に夷猶(いゆう)して、俗気(ぞっき)潜(ひそ)かに消ゆ。
故に君子は、物を玩(もてあそ)びて志を喪(うしな)はずと雖(いえど)も、亦た常に境(きょう)を借りて心を調(ととの)う。


現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

「山林泉石の間に徜徉して、塵心漸く息み」
→ 山林や泉、岩といった自然の中をさまよい歩けば、俗世の煩わしさや欲望の心は、次第に静まり癒やされていく。

「詩書図画の内に夷猶して、俗気潜かに消ゆ」
→ 詩文や書物、絵画といった文化的なものに親しんでいると、いつの間にか俗っぽさが消えていく。

「故に君子は、物を玩びて志を喪わずと雖も、亦た常に境を借りて心を調う」
→ だから君子(高潔な人)は、物に執着して志を失うことはないにせよ、やはり常に環境や情景を借りて心を整えるのである。


用語解説

  • 徜徉(しょうよう):あてもなくのんびり歩くこと、ゆったりとした逍遥。
  • 山林泉石:自然界の風景。山・林・泉・岩など、静寂で清らかな環境。
  • 塵心(じんしん):世俗の煩悩・欲望にまみれた心。現代で言えば「雑念」や「ストレス」。
  • 夷猶(いゆう):心を寄せて楽しむこと。たゆたいながら親しむ意。
  • 詩書図画:文学・学問・芸術の象徴。心を洗う精神的文化活動。
  • 俗気(ぞっき):俗っぽさ、下世話な感覚。名誉欲・金銭欲など。
  • 玩物喪志(がんぶつそうし):物に夢中になって志を失うこと。古典的な戒め。
  • 借境調心(しゃっきょうちょうしん):外界の風景や環境の力を借りて、自らの心を整えること。

全体の現代語訳(まとめ)

自然の中をゆったり歩けば、俗世の煩わしさが少しずつ静まり、
詩や書物、絵画などに親しめば、心の俗っぽさも次第に消えていく。
だから立派な人物というのは、たとえ物に心を奪われて志を失うことはなくとも、
常に情景や環境の力を借りて、自らの心を整えるのである。


解釈と現代的意義

この章句は、「人間の精神は、環境と文化によって育まれる」という洞察を含んでいます。

  • 「自然に触れること」と「文化に浸ること」は、心を清め、俗世の喧騒から解放する手段である。
  • 「境を借りて心を調う」とあるように、人は環境の影響から自由ではなく、むしろ上手にそれを活用すべきである。

老荘思想の「無為自然」と儒教の「修身」を融合させたようなこの考え方は、現代にも強く響きます。


ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

1. 「心を調えるための“環境デザイン”」

集中できない、ストレスが抜けない、怒りっぽい──それは多くの場合、心ではなく“場”に原因があります
自然・静寂・美に触れる時間を意識的に作ることが、セルフコントロールの一環となります。

2. 「教養・芸術は、心を脱俗させるツール」

詩や書物、芸術に触れる時間は、単なる趣味ではありません。
それは自己の俗気(損得や煩悩)を和らげ、内面の品格を育てる時間でもあります。
教養あるリーダーは、そこから他者を安心させる“気”を醸し出します。

3. 「“物に支配されない”が、“場に支えられる”を否定しない」

「物を愛でても志は失わない」という姿勢は、適度な楽しみを肯定しつつも、それを本質に据えないバランス感覚を表します。
そして、心を保つには外界の力を借りていいのだという柔軟さが、持続可能な成長につながります。


ビジネス用の心得タイトル

「場が心を調える──自然と教養が俗心を洗う」


この章句は、「精神の清浄さは、環境と文化から育まれる」というメッセージを、極めて詩的かつ実践的に伝えています。

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