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記録は、権力よりも正義に仕える

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歴史は真実を記すためにあり、誰の顔色も見ない

貞観十三年、太宗は諫議大夫・褚遂良(ちょすいりょう)に対し、起居注の記録内容について問うた。
起居注とは、天子の言動を日々記録する公式文書であり、君主自身も原則として閲覧できないものとされていた。

太宗は、「自分の行いの善し悪しを自ら知りたいだけだ」としながら、記録の閲覧を望んだが、
褚遂良は即座に答えた。
「今の起居官は古の左史・右史に相当し、君主の言動の善悪を余さず記す。
その目的は、君主が非法に走らないよう、正しく導くことにある。帝王が自らその記録を見たとは、前例を聞きません」。

さらに太宗が「もし自分に非があれば、それも書くのか」と尋ねたのに対し、
褚遂良は毅然として言い切った。
「『私的な忠義より、職務を守ることが臣下の道』と申します。私は記録官ですから、たとえ天子が非道でも、それを記さぬ理由などありません」。

このやりとりに対し、黄門侍郎・劉洎(りゅうき)も進言した。
「君主の過失は、日蝕や月蝕のように、誰の目にも明らかです。たとえ褚遂良が記さなくとも、天下の人々はすでに記憶しているでしょう」。

これは、記録という行為が権力に迎合してはならないという歴史官の独立性と、
公の失敗も包み隠さず記録することこそが未来の教訓となるという、太宗の政治理念と支える臣下たちの職責意識を浮き彫りにしている。


出典(ふりがな付き引用)

「今(いま)の起居(ききょ)は古(いにしえ)の左史(さし)・右史(うし)にして、人君(じんくん)の言行(げんこう)を記(しる)す。善悪(ぜんあく)を畢(ことごと)く書(しょ)す」
「庶幾(こいねが)わくは、人主(じんしゅ)非法(ひほう)を為(な)さざらんことを」
「臣(しん)、聞(き)く『守忠(ちゅう)に如(し)かざるは守官(しゅかん)』と。臣(しん)の職(しょく)は載筆(さいひつ)に当(あ)たり、何(なん)ぞ之(これ)を記(しる)さざらんや」
「人君(じんくん)に失(しつ)あらば、日月(じつげつ)の蝕(しょく)の如(ごと)く、人(ひと)皆(みな)之(これ)を見る。設(たと)い褚良(ちょりょう)之(これ)を記(しる)さずとも、天下(てんか)の人(ひと)皆(みな)之(これ)を記(しる)せん」


注釈

  • 起居注(ききょちゅう):天子の日常の言動を記録する公式記録文書。史官が担当。
  • 左史・右史(さし・うし):古代中国における、君主の行動・言動を記録する官職。
  • 載筆(さいひつ):筆を取って記録すること。職責そのものを意味する。
  • 守忠・守官(しゅちゅう・しゅかん):私的な忠義よりも公の職務を守ることが真の忠臣であるという意味。
  • 日月の蝕(しょく):日食・月食のこと。誰の目にも明らかな出来事の比喩。

パーマリンク(スラッグ)案

  • record-without-fear(恐れず記せ)
  • truth-over-favor(忠義より職務)
  • history-sees-all(歴史の目はすべてを見ている)

この章は、真実の記録こそが政治と歴史の信頼性を担保するという、
現代の報道・公文書・ジャーナリズムにも通じる理念を先取りしています。
「書くことの責任」と「記されることの覚悟」が、統治の質を決定するのです。

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