目次
一、章句の原文と現代語訳(逐語)
原文(聞書第十一)
安芸殿、子孫軍法承らざる様にと申され候事
「戦場に臨みては、分別が出来て、何とも止められぬものなり。
分別ありては突破る事ならず、無分別が虎口前の肝要なり。
それに軍法などを聞込みて居たらば、疑ひ多くなり、なかなか埒明くまじく候。
我が子孫軍法稽古仕るまじく」と申され候由。
現代語訳(逐語)
安芸殿(鍋島安芸守茂賢)は、「わが子孫は軍法など決して学ばせてはならぬ」と仰った。
「戦場に臨むと、あれこれと分別(思慮)が生まれ、どうにも止めようがなくなる。
分別があると、いざというとき思いきって突撃できなくなる。
無分別こそが、敵の真っ只中に飛び込む場面で最も大事なのだ。
それに軍法(戦術)などを学んでいたら、疑念ばかりが増え、かえって判断がつかなくなる。
だから、我が子孫には兵法の稽古などさせてはならぬのだ」と仰せられたという。
二、「無分別」の哲学──理屈ではなく、腹で決すること
この章句が伝えるのは、知識や理論がかえって行動を妨げるという逆説的な真理です。
- 「分別」は本来は「慎重な判断」として美徳に思われがちだが、
- 戦場や決断の場では、それが迷いや逡巡を生み、致命的な遅れになる。
ここでの「無分別」は、「無知」や「無思慮」とは違います。
常朝や安芸殿が説く「無分別」とは、迷いを断ち切る胆力、全身で決断する覚悟のことなのです。
三、背景:武士の戦場と近代知性の対立
江戸中期には武士の戦場経験が失われ、代わりに「兵法書」や「軍学」が流行しました。
しかし常朝や安芸殿は、そうした理論武装がむしろ武士の精神を腐らせるとみなします。
「軍法などを聞き込んでいたら、疑い多くなり、埒明かず」
つまり、知識偏重・理論過多の風潮に対する強烈なアンチテーゼでもあるのです。
四、ビジネスと現代への応用
状況 | 分別と無分別の現代的意味 |
---|---|
意思決定の場 | 「分析しすぎて動けない」「情報が多すぎて決断できない」現代病に対し、時に腹で決める勇気が求められる。 |
起業・新規事業 | ロジックでは説明しきれない挑戦に飛び込むには、「やらずにはいられない」という無分別な情熱が要る。 |
チームの指揮・統率 | 全体最適・シミュレーションをしすぎて動きが遅れがちなとき、直感で先陣を切る者の存在が突破口になる。 |
現場対応・危機管理 | 判断材料が揃わぬ状況では、「迷ったら動け」が鉄則となる。まさに「虎口(危機)の前の無分別」が肝要。 |
五、分別と迷い:その構造と克服
分別が生むもの:
- 可能性の比較
- 利害の計算
- 失敗の恐れ
- 他人の目や評価
これらは一見合理的ですが、実行の瞬間には鈍さ・後悔・逃避の温床となりうる。
無分別とは:
- 自分の信念・目的にまっすぐ向かう行為
- 情報の洪水から逃れた「一点集中の行動原理」
- 自らの「核」に立ち戻る勇気
六、まとめ:『葉隠』の「無分別」こそ、実行力の源泉
- 知識や分別は、場面によっては毒になる。
- 「死ぬ覚悟」があれば、理屈を越えて体が動く。
- すぐに判断し、即行動に移せる者こそが、混乱の中で道を切り拓ける。
- 無分別は、決して愚かさではない。それは“志の純粋形”である。
心得要約:知りすぎるな、迷うな、動け。――無分別にこそ、突破の道あり
分別は思考を複雑にし、決断を遅らせ、最後には行動を止める。
本当に動くべきとき、考えは邪魔になる。無分別――それは無知ではない。「余分」を捨てて志と腹だけで決する力である。
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