孟子は、人と交わるうえで**最も大切な心構えは「恭」(うやうやしさ・慎み)**であると答える。
これは特に目上との関係において重要であり、贈り物の受け取りにもその「恭」が問われる。
孟子の教えは、単なる上下関係のマナーを超えて、礼と義のせめぎ合いにどう対処するかという深い倫理的思考を求めるものである。
原文と読み下し
萬章(ばんしょう)問うて曰く、敢(あ)えて問う――交際の心は何ぞや。
孟子曰く、恭(きょう)なり。曰く、之を却(しりぞ)くべきときに却くるを、なぜ「不恭」とするのか。
孟子曰く、尊者(そんしゃ)が賜うにあたり、受け取る者が「これは義か不義か」と判断しようとすれば、
相手に疑念を向けることとなり、不恭となる。ゆえに辞退しないのである。曰く、では、言葉で辞退せずとも、心の中で「これは不義なもの」と判断し、別の理由で辞退するのはよいか。
孟子曰く、交わりに「道(みち)」があり、接するに「礼(れい)」があるならば、孔子といえどもそれを受け取ったのである。
解説:礼と義のバランス
礼(れい) | 義(ぎ) |
---|---|
相手の好意・格式・儀礼を重んじて受け取る | 贈与の出所が正しいかを見極める |
社交の円滑さや対面を重視 | 道徳的な是非・搾取でないかを問題にする |
孟子はこのバランスの取り方として、「上位者を疑う姿勢を表に出すこと」は不恭だと説く。
とくに、公然と「これは不義である」と言ったり、打算的に辞退することは交際の礼を欠くことになる。
孔子の実例:陽貨からの蒸し豚
孔子は、実力者・陽貨から贈られた蒸し豚を嫌っていたにもかかわらず受け取った(『論語』より)。
陽貨の出自や不義は知っていたが、形式的に目上からの「礼」に則った贈与であれば、受け取った。
個人感情ではなく、「社会的儀礼」としての筋目を通した態度である。
要点まとめ
- 交際の要諦は「恭」:相手を疑うような態度は交際にヒビを入れる。
- 贈り物の出所を詮索しすぎるのは不恭:上位者に「不義の疑い」を向けることになる。
- 礼にかなっていれば受け取るべき:それが孔子の判断でもあった。
- 心で断る・口で別の理由を述べて断るのも避けるべき:誠実な態度とは言えない。
パーマリンク(英語スラッグ)
receive-with-respect
→「敬意をもって受けよ」
その他の案:
balance-of-ritual-and-morality
(礼と義のバランス)do-not-suspect-the-higher
(目上を疑うな)courtesy-in-gifts
(贈り物にこそ礼を)
この章の教えは、**「倫理的清廉さ」と「社交的礼節」**をどう両立させるかという実践的テーマです。
現代のビジネス社会でも応用できる内容で、例えば「誰からの贈与か」「背景は何か」と考えすぎて、かえって関係を損ねてしまうケースがよくあります。
孟子はそのような場合、まずは相手の意図と社会的立場を信頼し、正面から受ける礼節を重んじよと示しています。
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