一、原文の引用
野田七右衛門へ西日山心遣仰付け置かれ候処、自分に本を伐り売払ひ候由、御日付より言上仕り候。
その後七右衛門、御前に罷出で候時分、潜かに仰聞けられ候は、
「斯様の事を聞き候。其方は左様の儀仕るまじく候。いか様似たる事を人の沙汰致すにてこれあるべくと存じ、その分にて差置き候。いよいよ相嗜み候様に」と御意なされ候由。
二、現代語訳(逐語)
野田七右衛門が西日山の管理を任されていたところ、彼が勝手に木を伐って売ったという報告があった。
後日、七右衛門が御前に参上した際、勝茂公は人目を避けて静かにこう仰せになった。
「そのような噂を耳にしたが、まさかお前がそんなことをするはずもないと考え、そのままにしておいた。
しかしながら、こうした疑いを招くことのないよう、くれぐれも気をつけるように。」
三、用語解説
- 西日山(さいじつざん):管理を任された藩の山林地名。資源管理の象徴。
- お目付(おめつけ):監察官、監督役。
- 潜かに(ひそかに)仰聞けられ:人前を避けて静かに注意すること。
- 相嗜み(あいたしなみ)候様に:十分に注意・自戒せよの意。
四、全体の現代語訳(まとめ)
ある藩士に横領の疑いがかけられた際、藩主はその者を人前で責めることなく、
「あなたがそんなことをするはずがないと思っている」と信を示しつつ、
「だからこそ、誤解を招くような行動には気をつけよ」と静かに忠告を与えた。
その行為によって、叱責は柔らかく、しかし強く相手に届いたのである。
五、解釈と現代的意義
この逸話は、「注意すること」と「人を責めること」の違いを際立たせています。
勝茂公は、事実を確認する前に処断せず、かといって見逃しもせず、相手の人格を尊重しながら、言外に「期待」と「警告」を伝えるという高い教養と度量を見せています。
現代においても、人の失敗や噂に対する対処の仕方が、リーダーの品格を決めるといっても過言ではありません。
「叱る」「怒る」「裁く」前に、「信じ、静かに促す」――それが人を動かす上級の術であり、「聞かぬふり」こそ、最も深く届く指導となり得るのです。
六、ビジネスにおける解釈と適用
項目 | 解釈・適用内容 |
---|---|
人材マネジメント | 疑惑や問題の兆候に対して、まずは信頼を示し、静かに注意することで本人の自律心を促す。 |
組織内の噂対処 | 根拠のない噂にすぐ反応せず、冷静な姿勢を保ちつつ、当事者と1対1で誠実に対話する。 |
クレーム・トラブル対応 | 相手を全面的に否定せず、信じる姿勢を見せた上で、行動に改善を促す「余地を残す」対応が信頼につながる。 |
リーダーシップ | 公の場で叱るのではなく、場面と方法を選び「信と忠告」を両立させる技術を持つことが重要。 |
信頼構築 | 初手から追及せず、相手に「誠意ある対応の機会」を与えることで、真の信頼関係を築ける。 |
七、心得まとめ
真に人を導く者は、まず信じ、そして静かに諭す。
見逃すのではなく、「見ていないふり」で相手の内省を促す。
それは「威圧」ではなく「敬意」と「希望」に裏打ちされた叱責である。
人は、叱られたことよりも、「信じてもらえたこと」によって変わる。
🌟結論:『葉隠』が教える、上に立つ者の叱責の極意
- 公ではなく私において語ることで、面子を守り、心に届く。
- まず信を示し、その上で警めることこそ、最高の指導。
- 「聞かぬふり」は、寛容ではなく、深い計算と愛情に支えられた行為である。
コメント