MENU

縁起よりも民の営みを尊べ

―『貞観政要』巻二より

🧭 心得

国家の行事は、吉日や縁起よりも、民の暮らしと時節に即して行うべきである。
貞観五年、皇太子の成人式(冠礼)を二月に行うことが吉とされ、儀仗の準備に民を徴用する案が出された。しかし太宗は、春の農繁期を理由にそれを拒み、十月に変更させた。
陰陽家の説を支持する蕭瑀の意見にも耳を貸さず、「吉凶は行いによって決まるものであり、迷信に頼って民の農作業を妨げるのは本末転倒である」と断じた。
太宗の決断は、実利をもって礼を制すという、実務的かつ民本主義的な思想を体現している。

🏛 出典と原文

貞觀五年、有司(ゆうし)上書(じょうしょ)して言(い)う、「皇太子(こうたいし)、将(まさ)に冠礼(かんれい)を行(おこな)わんとし、宜(よろ)しく二月(にがつ)を用(もち)いて吉(きち)と為(な)すべし。民(たみ)を徴兵(ちょうへい)して儀注(ぎちゅう)に備(そな)うべし」。

太宗(たいそう)曰(いわ)く、「今(いま)東作(とうさく)方(まさ)に興(おこ)る。農事(のうじ)を妨(さまた)ぐべからず。改(あらた)めて十月(じゅうがつ)を用(もち)いよ」。

太子少保(たいししょうほ)蕭瑀(しょうう)、奏(そう)して言(い)う、「陰陽家(いんようか)に準(のっと)れば、二月を用(もち)うべしと」。

太宗曰、「陰陽(いんよう)の拘忌(こうき)を以(も)って行(こう)ぜず。もし動静(どうせい)ことごとく陰陽に依(よ)り、理義(りぎ)を顧(かえり)みざれば、福祐(ふくゆう)を求(もと)むるといえども得(え)られんや。もし行(おこな)うところ皆(みな)正(ただ)しければ、自然(じねん)にして常(つね)に吉(きち)と会(か)う。且(か)つ吉凶(きっきょう)は人(ひと)に在(あ)り、豈(あに)陰陽の拘忌を假(か)るを要(よう)せんや。農時(のうじ)甚(はなは)だ重(おも)し、蹔(しばら)くも失(うしな)うべからず」。

🗣 現代語訳(要約)

皇太子の成人儀式を「二月が吉」として準備が進められたが、太宗は農作業の妨げになるとして十月に延期させた。縁起を重視する意見にも、「正しい行いをしていれば自然と吉に会う。吉凶は迷信ではなく人の行動次第だ」として断固として従わなかった。

📘 注釈

  • 冠礼(かんれい):男子が成人した証として冠をかぶる儀式。
  • 東作(とうさく):春の農作業。二月〜四月頃の農繁期を指す。
  • 陰陽家(いんようか):暦や吉凶を占って政事に関与した学派。
  • 拘忌(こうき):日取りの吉凶に対するこだわりや禁忌。

🔗 パーマリンク案(英語スラッグ)

  • reason-over-omen(主スラッグ)
  • 補足案:act-by-justice-not-astrology / timing-for-people-not-stars / no-harvest-no-state
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次