『老子』第五十三章「益證」
1. 原文
使我介然有知、行於大道、唯施是畏。
大道甚夷、而民好徑。
朝甚除、田甚蕪、倉甚虛、
服文綵、帶利劍、厭飲食、財貨有餘。
是謂盜夸、非道也哉。
2. 書き下し文
我をして介然として知有らしめば、
大道を行くに、唯だ施を是れ畏(おそ)る。
大道は甚(はなは)だ夷(たいら)かなれども、
民は径(こみち)を好む。
朝(ちょう)は甚だ除(ととの)えられ、
田(でん)は甚だ蕪(あ)れ、
倉(そう)は甚だ虚(むな)し。
而(しか)るに、文綵(ぶんさい)を服し、利剣を帯び、
飲食に厭(あ)き、財貨(ざいか)は余り有り。
是れを盗夸(とうか)と謂い、
道に非(あら)ざる哉(や)。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳す)
- 「我をして介然として知有らしめば、大道を行くに、唯だ施を是れ畏る」
→ 私がもしほんの少しでも知恵を持てたなら、大道(正しい道)を歩み、ただ一点、制度(施)だけを恐れるだろう。 - 「大道は甚だ夷かなれども、民は径を好む」
→ 正しい道(大道)はとても平坦でまっすぐなのに、人々は近道や抜け道を好む。 - 「朝は甚だ除られ、田は甚だ蕪れ、倉は甚だ虚し」
→ 宮廷や政府の建物はやたらと整えられているが、田畑は荒れ、倉庫は空っぽになっている。 - 「文綵を服し、利剣を帯び、飲食に厭き、財貨は余り有り」
→ 豪華な服をまとい、鋭い剣を身につけ、美食に飽き、財産は有り余っている。 - 「是れを盗夸と謂い、道に非ざる哉」
→ これこそ盗人のような誇示であり、「道」にかなったあり方ではない。
4. 用語解説
- 介然(かいぜん):わずかな。小さな。
- 大道(だいどう):道理・自然の理にかなった正道。
- 施(し):法制度・支配者による政治的施策。
- 夷(たいら)か/平らか:穏やかで整っていること。
- 径(こみち):近道。小道。便宜主義。
- 除(ととの)う:整備されること。贅沢な装飾。
- 蕪(あ)れる:荒れる。手入れされていない状態。
- 虚(むな)し:空である。充足していない。
- 文綵(ぶんさい):華やかな服装。贅沢品。
- 盗夸(とうか):盗人のような虚栄・奢侈・見せびらかし。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
私がほんの少しでも知恵を持てたなら、
正しい道をまっすぐ歩き、ただ一つ、制度や形式ばかりの支配を恐れるようになるだろう。
本来「道」というものは、平穏で誰にでも開かれているのに、
人々はつい効率や小利に走る。
宮廷は豪華に整っているが、農地は荒れ果て、倉庫は空。
一方で、着飾り、武器を帯び、贅沢な食にふけり、金銭だけは余っている。
こうした状態を「盗人の誇示」と言い、
これこそ「道に反する」姿だと老子は批判している。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「虚飾・形式・権威への警鐘」であり、
老子の思想の根幹である無為・質素・実質重視が強調されています。
- 道は本来「平らか=平凡」である。
- 人はそこから逸れ、「楽な道(小道)」に走る。
- 政治や社会が形ばかり整って、中身は空になっている。
- 贅沢と誇示に満ちた社会は「盗人のような偽りの道」である。
老子は、外見や支配ではなく、根本的な調和・自然との一致・足るを知る徳を強調します。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
●「大道は平らかだが、民は小道を好む」= 近道思考の危うさ
→ 楽をしよう、早く成果を上げようとすると、かえって大きな損失や信用喪失に繋がる。
→ 誠実なプロセスこそが、長期的成果の道。
●「田は荒れ、倉は空」= 見かけ重視の弊害
→ オフィスの豪華さ・装飾・制度よりも、顧客・現場・従業員の実態に目を向けるべき。
→ 真の経営改善とは「倉(実り)」を満たすこと。
●「文綵・利剣・財貨有余」= 贅沢と力の誇示は危うい
→ 権威や財力の誇示は、信頼や共感を損なう。
→ **「謙虚な強さ」「静かな実力」**の方が、持続的影響力を持つ。
●「盗夸」= 偽りの繁栄を戒める
→ 外見や数字で飾っても、内実が伴わなければ“盗人の栄光”に過ぎない。
8. ビジネス用の心得タイトル付き
この章句は、形式主義・権威主義・短期的思考への痛烈な批判であり、
現代においても「本質回帰」「脱虚飾経営」への深い示唆を与えてくれます。
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