あるとき孔子は、自分自身のことをこう語った。
「外に出れば上役によく仕え、家では父や兄にきちんと従い、
喪に臨んでは精いっぱいのことをし、
酒席にあっても酒に呑まれて乱れることはない。
まあ、私という人間は、それくらいのものだよ」
一見すると、平凡で控えめな発言に思えるが、そこには自分を見つめる冷静な目線と、確かな自己肯定感が込められている。
孔子は自分を「完璧な聖人」とは位置づけていない。
しかし、「人としてやるべき基本を誠実に果たしている」という自負は持っている。
謙虚にして誠実、自信があっても驕らない——それが孔子の人間像であり、弟子たちに示した生き方の模範だった。
原文(ふりがな付き)
「子(し)曰(いわ)く、出(い)でては則(すなわ)ち公卿(こうけい)に事(つか)え、入(い)りては則ち父兄(ふけい)に事(つか)う。喪事(そうじ)は敢(あ)えて勉(つと)めずんばあらず。酒(さけ)の為(ため)に困(くる)しめられず。我(われ)に於(お)いて何(なに)か有(あ)らんや。」
注釈
- 公卿(こうけい)…高位の役人。ここでは「上司」「上役」の意。
- 事う(つかう)…仕える、従う。
- 喪事(そうじ)…葬儀や弔い事。真心を尽くすべき場面。
- 敢えて勉めずんばあらず…「全力で取り組まないということはない」=必ず誠意をもって尽くす。
- 酒の為に困められず…酒に飲まれて乱れることがない節度ある態度。
- 何か有らんや…「これ以上、私に何があるというのだ」=私はこれくらいの人間にすぎない、という謙虚さの表現。
原文:
子曰、出則事公卿、入則事父兄、喪事不敢不勉、不為酒困、何有於我哉。
書き下し文:
子(し)曰(いわ)く、出(い)でては則(すなわ)ち公卿(こうけい)に事(つか)え、入りては則ち父兄(ふけい)に事う。
喪事(そうじ)は敢(あ)えて勉(つと)めずんばあらず。酒(さけ)の為(ため)に困(くる)しめられず。
我(われ)に於(お)いて何(なに)か有(あ)らんや。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 出でては則ち公卿に事え
→ 外では身分の高い人々(公卿)に礼を尽くして仕えている。 - 入りては則ち父兄に事う
→ 家の中では父や兄に対して恭しく仕えている。 - 喪事は敢えて勉めずんばあらず
→ 喪に服すことには、最大限真剣に取り組み、礼を尽くすことを怠らない。 - 酒の為に困められず
→ 酒に飲まれて節度を失うことはない。 - 我に於いて何か有らんや
→ これで私に、何か非難されることがあるだろうか?(いや、ないはずだ)
用語解説:
- 公卿(こうけい):政府の高官・貴族層。社会的地位の高い人々の象徴。
- 父兄(ふけい):家族内の目上の人。儒教的な孝の対象。
- 喪事(そうじ):親族などの葬儀・喪に服す儀礼。古代中国では極めて重要な礼の実践。
- 敢えて〜ずんばあらず:必ず〜する、という強い決意の言い回し。
- 酒に困められず:酒に酔って乱れることなく、節度ある生活をすること。
- 何か有らんや:反語表現で「何か問題があろうか、いやない」の意味。
全体の現代語訳(まとめ):
孔子はこう言った:
「私は外にあっては高位の人々にきちんと仕え、家に帰れば父や兄に礼を尽くして仕える。
喪に際しては心から慎み、誠意をもって務め、酒に溺れて乱れることもない。
これで私に非難されるようなことがあるだろうか。いや、あるまい。」
解釈と現代的意義:
この章句は、孔子が自らの生活態度について語り、
**「公私の節度・礼儀・節制・誠実さ」**の大切さを示しています。
- 公的場面では敬意を尽くす
- 家庭内では親族に対する礼を尽くす
- 大切な儀式(喪)では心から真剣に臨む
- 私生活(酒)では自制心を持つ
つまり、**「内にも外にもブレず、礼に生きる」**という姿勢です。
これは儒教における理想的な人格者(君子)の実像です。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「公私を問わず、節度と礼を貫くこと」
- 社外(顧客や上司)にも社内(家族やチーム)にも同じように誠意を尽くす人が、本当に信頼される。
- “外面だけの人間”や“家庭を軽んじる働き方”を戒めるメッセージ。
2. 「儀式や節目をおろそかにしない」
- 喪や式典、周年行事など“形式的”と思われがちな行事にも、誠実に取り組むことで信頼が積み上がる。
- 礼は「儀式」ではなく「心を形にしたもの」である。
3. 「自律=節制こそが品格」
- 酒や遊興、感情に流されないことは、リーダーにとって最も根源的な自律力。
- 本当に尊敬される人は、他者ではなく自分自身に厳しい人である。
ビジネス用心得タイトル:
「公に仕え、私に慎み、礼に生きる──信頼される人は“節度”を貫く」
この章句は、現代のリーダーシップ、ビジネスパーソンとしての自己管理・対人姿勢・誠実さに深く通じます。
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