一、原文の引用と現代語訳(逐語)
原文抄(聞書第二より)
貴となく賤となく、老となく少となく、悟りても死に、迷ひても死に、さても死ぬ事かな。
我人、死ぬと云ふ事知らぬではなし。ここに奥の手あり。死ぬと知つては居るが、皆人死に果ててから、我は終りに死ぬ事の様に覚えて、今時分にてはなしと思ふて居るなり。
はかなき事にてはなきや。何もかも役に立たず、夢の中のたはぶれなり。斯様に思ひて油断してはならず。足許に来る事なるほどに、随分精を出して早く仕舞ふはずなり。
現代語訳(逐語)
- 身分の高低や年齢、悟りの有無に関係なく、人は誰でも死ぬ。
- 皆それを知らないわけではない。しかし心のどこかで、「自分は最後のほうに死ぬだろう」と思い込み、差し迫った問題だと感じていない。
- それは愚かで、油断を招く危険な発想だ。
- 「この世はすべて夢」と投げやりになるのではなく、死は足元まで来ていると心得て、やるべきことを早く片づけておけ。
二、用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
奥の手あり | 表面的には理解していても、本音では“自分だけは例外”と思う心理のこと。 |
たはぶれ | 遊び、戯言。人生を戯れのように軽く捉えてしまうことへの戒め。 |
仕舞ふはずなり | 処理すべき、片づけるべき、やるべきことを早く終えるべきだという意。 |
三、全体の現代語訳(まとめ)
人は誰しも死ぬ。身分の差も年齢も悟りの深さも関係ない。
しかし多くの人は、「いずれ死ぬ」とは知っていても、「今、自分が死ぬかもしれない」とは思っていない。「みんなが死に終わったあとに、自分が最後に死ぬ」と考えているのだ。
それは甘えであり、油断の元だ。「この世は夢だ、どうせ何もかも無意味」と言って怠けてはいけない。
死はいつでも足元に迫っており、今を生きる者として、やるべきことに全力で取り組み、すぐにでも終わらせる覚悟が必要である。
四、解釈と現代的意義
この章は『葉隠』の「死の哲学」の集約といえる部分であり、「死」を“厭うべき終わり”ではなく、“生を覚悟させる起点”としています。
現代においても共通する主題は以下の通りです:
- 人は皆「例外意識」を持っている
→「死」は他人ごと、自分はもう少し後でいい、と。 - 「死ぬ前にやろう」と思っている間に、死は来る
→やり残しがあるなら、今やるしかない。 - 「夢」と捉えて怠惰に生きるな
→人生を“儚い”と知ることは怠惰の言い訳ではなく、行動の動機になる。
この章は、死への畏れではなく、“死の目前にいる自分”として人生を整える行動倫理を促すものです。
五、ビジネスにおける解釈と適用(個別解説)
項目 | 解釈・応用 |
---|---|
タスクと決断 | いつかやる、後でやる…ではなく、「今この瞬間が最期かもしれない」と思って仕事に臨む。「後回し」の精神を絶つ。 |
プロジェクトの締め方 | プロジェクトや関係性には“終わり”があることを前提に、「締め」の準備・共有・記録を丁寧に行う。 |
リスク管理 | 目の前の安定に溺れず、“突然の変化”や“最悪の事態”に備えた備蓄・引継ぎ・意識づくりが必要。 |
時間の使い方 | “永遠にあるように使っているが、実際は有限”という時間の真理を胸に、優先順位を明確にして動く。 |
六、補足:常朝の「死」観は「生」のためにある
常朝は「死ぬ覚悟で生きよ」とは言っても、「死を美化」しているのではありません。
この章では、
「死ぬ覚悟」がある者こそ、「今この瞬間」を最もよく生きられる
という逆説的な真理が語られています。
死は誰にも平等であり、その瞬間は選べない。だからこそ、「その日」が来ても後悔しないように、今この瞬間に全力を注げと説くのです。
七、まとめ:この章が伝えるメッセージ
- 死は遠くではなく、足元にある。
- やるべきことは、今すぐに仕舞え。
- “いつか”は来ない。“いま”こそが勝負である。
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