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ひたすら善を為すことが聖人の道

孟子は、早朝に鶏が鳴いて起きた後、ひたすら善を為すことに努める者は、聖人である舜の仲間であり、善を追求する者だと説いた。一方、同じように鶏が鳴いて起きた後、ただ自分の利を追い求める行動をする者は、大盗賊の跖の仲間であり、自己中心的な利己的行動を取る者だと言った。舜と跖の違いを知りたいなら、それは単純に「利」を追い求めるか、「善」を追い求めるかの違いであると孟子は教えている。

「孟子曰(もうし)く、雞鳴きて起き、ひたすら善を為す者は、舜の徒なり。雞鳴きて起き、ひたすら利を為す者は、跖の徒なり。舜と跖との分を知ろうと欲するならば、他に何もない、ただ「利」と「善」の間の違いに過ぎない」

「鶏が鳴いて起き、ひたすら善を為す者は舜の仲間であり、鶏が鳴いて起き、ひたすら自分の利益だけを追求する者は、盗跖の仲間である。舜と盗跖の違いを知りたいのであれば、それはただ「利」を追い求めるか、「善」を追い求めるかの違いに過ぎない」

孟子は、善を為すことが、ただの生活の営みを超えて、徳を積むことにつながり、結果的にその人を聖人へと導くと教えている。一方、自己利益を追求し続けることが、結局は道を外れた行動に繋がるのだと強調している。

※注:

「孶孶」…ひたすら努めて、勤勉な様子を示す。
「跖」…盗跖(とうせき)。古代中国の大盗賊で、自己利益のみに従った人物。
「分」…違い、差異。

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