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称号に値するは、己を浄めし者のみ


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■引用原文(日本語訳)

この世では悪を取り除いたので〈バラモン〉と呼ばれ、
不吉なことが静かにやすまっているので〈道の人〉と呼ばれ、
おのれの汚れを除いたので、〈出家者〉と呼ばれる。

―『ダンマパダ』第11章 第15偈(章末偈)


■逐語訳

  • 悪を取り除いたので〈バラモン〉と呼ばれる(pāpam pahāya brahmaṇo):悪を断ち切った者が〈婆羅門〉と称され、
  • 不吉なことが静かにやすまっているので〈道の人〉と呼ばれる(samaṇo hoti santoti):心の乱れや煩悩を静めた者が〈沙門〉と呼ばれ、
  • おのれの汚れを除いたので〈出家者〉と呼ばれる(pabbajito ti vuccati):自分自身の穢れを除き去った者が〈出家者〉とされる。

■用語解説

  • バラモン(brahmaṇa/婆羅門):もとはインドの祭司階級。仏教では血統や地位ではなく、「悪を離れた者」に与えられる精神的称号。
  • 道の人(śramaṇa/沙門):欲望・煩悩・乱れを静かに制した修行者。出家・在家を問わず実践者を指す。
  • 出家者(pravrajita/プラヴラジタ):世俗から離れ、内面の穢れを浄めようとする人。単なる物理的離脱ではなく精神的清浄さを強調。

■全体の現代語訳(まとめ)

仏陀はここで、三つの尊称――バラモン、沙門、出家者――は、それぞれ特定の内面の浄化を達成した者にこそふさわしいと説いています。
血筋でも見た目でもなく、「悪を離れた者」「静かな心を得た者」「自分自身の穢れを除いた者」こそが、その称号を名乗るにふさわしい真の“道の人”であるのです。


■解釈と現代的意義

この偈は、「人を尊敬する基準はどこにあるか」という問いへの明確な答えです。
現代社会では、肩書・学歴・職業・外見などで他者を判断しがちですが、仏陀はそうした“外側のラベル”に意味はないと断言します。
本当に称されるべき者とは、自己と向き合い、内面を鍛え、悪を退け、静けさと清浄を実現した者だという精神性に根差した基準を明示しているのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点現代ビジネスでの適用例
真の称賛とは地位や役職でなく、「誠実に悪を避け、正しく生きているか」が本当の尊敬を受ける基準。
リーダーの条件指導者とは“静かな力”をもち、部下に信頼されるだけの内面の整いがある人物。
自己浄化の意識外からの評価よりも、自分自身の「汚れ=慢心・虚飾・欲望」を除く努力を日々行うことが、長期的な信頼と結果につながる。
組織文化への示唆社内称号や表彰も、実際に「人として整っているか」「人間性を高めているか」を重視すべき。

■心得まとめ

「称される名にふさわしくなるのは、己を浄めた者のみ」

仏陀は明確に説きます。
名乗ることは誰でもできるが、名にふさわしい生き方をしているかが問われるのです。
悪を離れ、心を静め、内面の穢れを除いた者こそが、本当に“尊敬される者”であると――。
現代社会においても、この教えは、**「本質的であれ」「静かに誠実であれ」**という生き方の美徳を思い起こさせます。


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