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励みこそ、生きる証である


■ 引用原文(日本語訳)

つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の足跡である。
つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、つねに死んでいる。

――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第1節


■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)

  1. つとめ励むのは、不死(アマタ)の境地である。
     努力精進の道を進む者は、精神的な死を超えた「永遠の命」に至る。
  2. 怠りなまけるのは、死(マラナ)の足跡である。
     怠惰や無気力は、生命の終わり、衰退、精神の死へとつながっていく。
  3. つとめ励む人々は、死ぬことがない。
     行動し努力を重ねる者の魂は、生き生きとして永遠に輝き続ける。
  4. 怠りなまける人々は、つねに死んでいる。
     何もせず、現実から目を背けている者は、生きているようで実は「死んでいる」状態である。

■ 用語解説

用語解説
つとめ励む(アッパマーダ)精進・注意深く怠らず努力する姿勢。仏教では聖者の生き方とされる。
不死(アマタ)輪廻を超越した境地、涅槃とも通じる。精神の永遠性、悟り。
怠りなまける(パーマーダ)無関心・無気力・漫然とした心の状態。仏教における大きな堕落要因。
死(マラナ)単なる肉体の死ではなく、精神の衰退、意味のない生き方を象徴する。

■ 全体の現代語訳(まとめ)

励み続けることは、魂が永遠に生き続ける道であり、怠けてしまうことは、精神が死へと向かうことを意味する。仏教では、「生きる」とは単なる肉体の活動ではなく、意志ある努力と覚醒の道を歩むことを指す。逆に、目的も努力もない日々を送る者は、たとえ生きていても「常に死の中にある」とされる。


■ 解釈と現代的意義

この言葉は、「命とは何か」「生きるとはどういうことか」を根本から問うものです。
忙しさの中で目的を見失い、ただ時間に流されているとき――それは、もはや“生きている”とは言えません。
たとえ苦しくても、自分の意志で何かに取り組み、歩みを止めない人こそが、本当に“生きている人”です。
仏教的に言えば、「努力こそが生の証」であり、「怠惰は生きながらの死」です。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
仕事の姿勢「何のために働いているのか」を見失い、ただ日常をこなすだけでは内面が死んでいく。目標に向けて挑戦し続けることで、精神が生き続ける。
プロジェクト遂行停滞している時こそ、意志ある小さな行動を積み重ねることが「生きた仕事」につながる。
チームの在り方活気ある組織は、怠惰や諦めを排し、全員が「今日一歩前へ」と動いている。
個人の成長スキルの習得や新しい挑戦に日々取り組むことは、自己の命を磨き続ける行為である。学びを止めた瞬間から「退化」が始まる。

■ 心得まとめ

「努力の灯が、命を照らす。怠惰の影に、心は死す。」

生きるとは、歩み続けること。
挑戦を恐れず、怠けず、今この一歩を誠実に踏み出す――そこにこそ、「本当の生」が宿る。
あなたの励みが、あなた自身を生かし、まわりの人々を照らしてゆくのです。


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