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📜 引用原文(日本語訳)
汝はいまや枯葉のようなものである。閻魔王の従卒もまた汝に近づいた。汝はいま死出の門路に立っている。しかし汝には旅の資糧さえも存在しない。
——『ダンマパダ』第18章「汚れ」第235偈
📘 逐語訳
- 汝(なんじ):お前という呼びかけ。読者=人間一般を指す。
- 枯葉のようなもの:老い衰えて、もはや命が尽きる寸前の状態。
- 閻魔王の従卒:死を司る神の使者、死神。死の到来が近いことの象徴。
- 死出の門路:死後の旅路、あるいは死の入り口。
- 旅の資糧:旅に必要な準備物。ここでは、次の命に備える「善行」や「修行」を暗示。
🧾 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
枯葉 | 老い・終末の象徴。もはや新たな成長は見込めない状態。 |
閻魔王の従卒 | 死の到来、生命の終わりを告げる存在。 |
死出の門路 | 死後の世界への入り口。仏教的には再生・輪廻の準備段階。 |
資糧(しりょう) | 修行・善行・正しい生き方の積み重ね。来世への備え。 |
🌏 全体の現代語訳(まとめ)
お前はいま、老い朽ちた枯葉のように命の終わりに近づいている。死の使者が訪れ、死出の道の前に立たされているというのに、お前には旅に必要な備え(修行・善行・智慧)が何もない——と仏陀は厳しく警告する。
💡 解釈と現代的意義
この偈は、「老いと死」という避けられない現実を直視させ、今この瞬間にどう生きるかを問いかけます。人は皆、遅かれ早かれ死の門口に立つ存在です。そのときに問われるのは、「何を遺したか」「何を学び、成し遂げたか」。それがなければ、ただ人生を終えるだけです。
仏教は「死を意識することこそ、真の目覚めである」と説きます。この偈はまさにその核心に触れています。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
キャリアの節目 | 定年や引退を迎えるとき、「何を成し遂げたか」「何を残したか」が問われる。日々の積み重ねこそが将来の資糧。 |
知的資産の継承 | 経験やノウハウを後進に伝えないまま終わるのは、資糧を持たずに旅立つことと同じ。 |
プロジェクトの締めくくり | 途中で力尽きる前に、後任への引継ぎ・記録・成果の明文化などを怠ってはならない。 |
リスク管理 | 人生・ビジネスの両面において、最悪の事態(=死や事業停止)に備えることが、成熟した組織の証。 |
🧭 心得まとめ
「いつ死が訪れても悔いなきよう、今この瞬間を準備の時とせよ」
人は皆、やがて死出の門路に立たされる。そのとき「資糧」がないという事実ほど、恐ろしいものはない。だからこそ、今日一日の行動が明日の備えとなる。生き方そのものが、旅路の準備である。
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