この章は、孟子が孔子の『論語』の思想を深く解釈・継承している姿勢を示す重要な一節であり、
理想的な人物像と、その次善策としての人材の捉え方に言及している。
孔子の想い ― 陳でのつぶやき
孔子が陳に滞在していたとき、こう言ったと伝えられている:
「帰ろうではないか。魯の我が弟子たちは“狂簡”で、進取の精神に富んでいる。初めの志を忘れていない」
万章は孟子に問う:
「なぜ孔子は陳で、魯の“狂者たち”を思い出したのでしょうか?」
孟子の答え ― 人材論の3段階
孟子は、孔子の**人材選びにおける“優先順位”**を明確に示す:
- 最善:中道(ちゅうどう)を行う者
- 極端に走らず、礼と義を兼ね備え、バランスの取れた真の君子。
- しかし、このような人物はなかなか得難い。 - 次善:狂者(きょうしゃ)
- 積極的に志を立て、進取の気風に富む者。
- 代表例:琴張・曾晳・牧皮など。
- ただし、口で「古の人」と高らかに理想を語っても、行いがそれに伴わないという危うさもある。 - さらに次善:獧者(けんしゃ)
- 「不善をしないこと」を守る者。消極的だが堅実で潔癖。
- 積極的な理想追求はないが、悪には流されない人間として信用できる。
孟子は言う:
「中庸を行う者が得られないなら、せめて狂者、あるいは獧者とともに事を成したい」
教訓 ― 言葉だけでなく、行いで人を判断せよ
孟子は、「嘐嘐然(こうこうぜん)」と大きなことを言う狂者を冷静に評価する:
「言うことは立派でも、行いがともなっていなければ、それは空虚であり“狂”である」
一方で、「不潔を屑(いさぎよし)としない獧者」は、志の高さには欠けるかもしれないが、
堅実に悪を避けるという点で、大いに信頼すべき存在であると評価される。
引用(ふりがな付き)
「万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、孔子(こうし)陳(ちん)に在(あ)りて曰(いわ)く、盍(なん)ぞ帰(かえ)らざる。吾(わ)が党(とう)の士(し)は狂簡(きょうかん)にして進取(しんしゅ)なり。其(そ)の初(はじ)めを忘(わす)れず、と。
孟子(もうし)曰く、孔子は中道(ちゅうどう)を得(え)て之(これ)に与(くみ)せずんば、必(かなら)ず狂獧(きょうけん)か。
狂者(きょうしゃ)は進(すす)みて取(と)り、獧者(けんしゃ)は為(な)さざる所有(しょ)るなり。
孔子、豈(あ)に中道を欲(ほっ)せざらんや。得ること必ずしも能(あた)わず。故(ゆえ)に其の次(つぎ)を思うなり」
注釈
- 狂者:理想に燃え、理論的には高い志を持つが、現実の行動が伴わないことがある。
- 獧者:積極的には動かないが、不義や不潔を絶対に避ける強い内的道徳を持つ者。
- 中道(中行):過不足なく、徳義の道を歩む理想の人物像。
- 嘐嘐然(こうこうぜん):言葉が大きく、誇張された様子。
- 夷考(いこう)する:冷静に、客観的にその行いを検証すること。
パーマリンク(英語スラッグ)
prefer-moderation-but-seek-the-worthy
「中道が得られなければ、次善の人材を求めよ」という孔孟の現実的理想主義を表すスラッグです。他の案:
- ideals-then-principled-alternatives
- true-virtue-is-in-action
- talk-less-act-more
この章は、教育・組織運営・人材評価における“実行力”と“慎独の徳”のバランス感覚を伝える内容でもあります。
1. 原文
萬章問曰、孔子在陳曰、盍歸乎來、吾黨之士狂簡進取、不忘其初。
孔子在陳、何思魯之狂士。
孟子曰、孔子不得中道而與之、必也狂獧乎。
狂者進取、獧者有所不爲也。
孔子豈不欲中道哉、不可必得、故思其次也。
敢問、何如斯可謂狂矣。
曰、如琴張・曾晳・牧皮者、孔子之謂狂矣。
何以謂之狂也。
曰、其志嘐嘐然、曰古之人、古之人、夷考其行、而不掩焉者也。
狂者又不可得、欲得不屑不潔之士而與之、是獧也、是又其次也。
2. 書き下し文
万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、孔子(こうし)陳(ちん)に在(あ)りて曰く、
「盍(なん)ぞ帰(かえ)らざるや。我(わ)が党(とう)の士(し)は狂簡(きょうかん)にして進取(しんしゅ)なり。其(そ)の初(はじ)めを忘(わす)れず」と。
孔子、陳に在りて、何(なん)ぞ魯(ろ)の狂士(きょうし)を思(おも)えるや。
孟子(もうし)曰く、孔子は中道(ちゅうどう)を得(え)て之(これ)に与(くみ)せずんば、必(かなら)ず狂(きょう)・獧(けん)なるべし。
狂者(きょうしゃ)は進(すす)んで取(と)り、獧者(けんしゃ)は為(な)さざる所有(あ)るなり。
孔子豈(あ)に中道を欲(ほっ)せざらんや。必ずしも得(う)べからず。故(ゆえ)に其の次(つぎ)を思(おも)うなり。
敢(あ)えて問(と)う、何(いか)なるを以て斯(ここ)に狂と謂(い)うべきや。
曰く、琴張(きんちょう)・曾晳(そうせき)・牧皮(ぼくひ)の如(ごと)き者(もの)は、孔子の謂(い)う所の狂なり。
何を以て之を狂と謂うや。
曰く、其の志(こころざし)嘐嘐然(こうこうぜん)たり。「古(いにしえ)の人、古の人」と曰うも、其の行(おこな)いを夷考(いこう)すれば、掩(おお)わざる者なり。
狂者また得(う)べからず。
不潔(ふけつ)を屑(いと)わざるの士(し)を得て之に与せんと欲(ほっ)す。是(こ)れ獧(けん)なり。是れまた其の次なり。
3. 現代語訳(逐語訳/一文ずつ訳)
- 万章が尋ねた:「孔子が陳にいたとき、『帰ろうではないか。我が郷里の士は熱意にあふれ、行動力があり、初心を忘れない』と言った。なぜ陳で、魯の狂士を思ったのか?」
- 孟子は答えた:「孔子は“中道”の人物を得られないとき、次善として“狂”または“獧”の人と関わったのだ。」
- 「狂者は進んで物事を引き受ける者であり、獧者は“不義なことは絶対にしない”という姿勢を持つ者だ。」
- 「孔子が中道を求めなかったわけではない。しかし得られないなら、次に望むのが“狂”の人である。」
- 万章:「どんな人が“狂”と呼ばれるのですか?」
- 孟子:「琴張・曾晳・牧皮のような人々が、孔子の言う狂である。」
- 「どうして狂なのか?」
- 「彼らの志は極めて高く、“古の人のようでありたい”と願い、それにふさわしい行動を実際にしていた。理想と実行が一致していたのだ。」
- 「だが、そういう狂の人さえ得がたくなると、不潔なこともいとわず関われる人を求めることになる。それが“獧”であり、さらに一段下の選択である。」
4. 用語解説
- 狂(きょう):志が高く、理想を追い求めるが、やや過激で常識からはみ出す傾向もある人物。
- 獧(けん):頑固で、一線を絶対に越えない。現実主義的・保守的で節操を守る人物。
- 中道(ちゅうどう):過不足のない、理想的で安定した徳のあり方。孔子の理想。
- 琴張・曾晳・牧皮:孔子にゆかりのある高志の士。
- 嘐嘐然(こうこうぜん):志が高く、広がりのあるさま。
- 夷考(いこう):平静に、正確にその行動を検証すること。
- 不潔を屑(いと)わざる:卑しい行いでも気にせず関与すること。現実との妥協。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
万章が孟子に尋ねた。
「孔子は陳にいた時、『帰ろう。我が郷里の者たちは狂簡にして進取、初心を忘れない』と言ったが、なぜあえて狂士を思ったのか?」
孟子はこう答えた:
「孔子は中道の人物(理想的な徳の持ち主)を得られないとき、次善として“狂”または“獧”の者を選んだ。
“狂”の者は進んで理想に向かい、“獧”の者は不義を絶対にしない節義を持つ。
理想(中道)が手に入らなければ、次善の狂を思うのは当然である。」
「孔子が“狂”と呼んだのは、琴張・曾晳・牧皮のような者たちだ。
彼らは“古の人”のように高い志を抱き、実際の行動もそれに見合っていた。
しかしそのような狂すら得難くなると、不潔をいとわない“獧”のような者を選ぶしかなくなる。
それがさらに次善の選択である。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「理想的人材が得られないとき、どのような基準で次善を選ぶか」**という現実的かつ倫理的な問題に対する孟子の洞察です。
- 孔子はまず「中道=理想的な君子」を求めた。
- 得られなければ、「狂=過剰でも志高き者」、それも無理なら「獧=不正を拒む頑固者」。
- これは、“完璧でない人材”の中からも価値ある特性を見出して活かす方法ともいえる。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
「理想の人材でなくても“芯のある者”を選べ」
- 理想的なリーダーやメンバーがいないとき、「情熱的で推進力のある人(狂)」か、「誠実で不義を拒む人(獧)」を重用することが有効。
- 完璧を求めて人を選べないよりも、“何がその人の強みか”を見極めて活かす柔軟さが重要。
「信念なきスキルより、信念ある偏りを尊重せよ」
- 行き過ぎた理想主義(狂)でも、腐敗を許さない節操(獧)でも、一貫した信念があれば組織は活性化する。
- 実務能力よりも、軸を持った価値観が中長期では組織文化を支える。
「次善の選択は敗北ではなく、戦略である」
- “最良が得られないなら何もしない”ではなく、次善を見抜いて育てる目こそリーダーの眼力。
- 孟子の言うように、それでも人が得られないなら、“不潔を厭わぬが基本的に義のある者”とも組むべき時がある。
8. ビジネス用の心得タイトル
「理想なき時は、狂か獧か──“次善の人材”を見抜け」
この章句は、人材やパートナーにおける「理想・次善・現実」の選び方と、徳に基づいた実践的判断の大切さを教えてくれる名句です。
コメント