— 現場を支える人材こそ、国家安泰の鍵を握る
貞観十一年、御史台の馬周が上奏文を奉り、太宗にこう進言した。
「天下の安寧は、人材にかかっており、その中心となるのは、州刺史や県令といった地方長官です。
県令は人数が多く、そのすべてに賢者をあてがうのは困難ですが、州ごとに良い刺史が一人でもいれば、民は息を吹き返します。
もし全国の刺史が陛下のお心に適うような人物ばかりであれば、陛下はただ宮殿に端座するだけで、人民は安心して暮らすことができましょう」
さらに馬周は、過去の制度を例に挙げた。
郡守や県令には、人徳ある賢者が選ばれ、将軍や宰相に抜擢する際も、まず人民の統治を経験させていたという。
漢代には、郡太守から中央に上り、丞相や太尉などの重職に就いた者も少なくなかった。
したがって、「朝廷が内臣ばかりを重用し、地方の人材登用を軽視してはならない。それこそが、人民が安定せぬ最大の原因だ」と警鐘を鳴らした。
これを読んだ太宗は感銘を受け、州刺史は自らが選任し、県令については五品以上の京官(都の高官)に、それぞれ一名ずつ推薦させるよう詔を下すと決めた。
ふりがな付き引用
「貞(じょう)観(がん)十一年(じゅういちねん)、侍御史(じぎょし)馬(ば)某(しばらく)上疏(じょうそ)して曰(いわ)く、
『天下(てんか)を治(おさ)むる者(もの)は、人(ひと)を以(もっ)て本(もと)と為(な)す。百姓(ひゃくせい)を安楽(あんらく)せしめんと欲(ほっ)すれば、惟(ただ)刺史(しし)・県令(けんれい)に在(あ)り。
県令は衆(しゅう)にして、皆(みな)賢(けん)たるべからず。
若(も)し毎(おのおの)の州(しゅう)に良(りょう)刺史(しし)を得(え)ば、則(すなわ)ち合境(ごうきょう)蘇息(そそく)す。
天下の刺史、悉(ことごと)く陛下(へいか)の意(い)に称(かな)う者(もの)なれば、則ち陛下は巖廊(がんろう)の上(うえ)に端拱(たんきょう)して、百姓は不安(ふあん)を慮(おもんばか)らず。
自古(いにしえ)より郡守(ぐんしゅ)・県令(けんれい)は、皆(みな)妙(たえ)なる賢徳(けんとく)にして、将相(しょうしょう)に擢(ぬ)かんと欲(ほっ)する者(もの)あらば、必(かなら)ず先(ま)ず以(もっ)て人(ひと)を臨(のぞ)むるを試(こころ)みたり。
或(あるい)は二千石(にせんせき)より入(い)りて、丞相(じょうしょう)・司徒(しと)・太尉(たいい)と為(な)る者(もの)有(あ)りき。
朝廷(ちょうてい)は必(かなら)ず内臣(ないしん)のみを重(おも)んじて、外(そと)の刺史・県令を軽(かる)んずるべからず。
百姓の未(いま)だ安(やす)からざるは、殆(ほとん)ど此(これ)に由(よ)る』」。
太宗(たいそう)因(よ)りて侍臣(じしん)に謂(い)いて曰(いわ)く、
「刺史(しし)は当(まさ)に自(みずか)ら簡擇(かんたく)すべし。県令(けんれい)は京官(けいかん)五品(ごほん)已上(いじょう)に詔(みことのり)して、各(おのおの)一人(いちにん)を挙(あ)げしむべし」。
注釈
- 御史台(ぎょしたい):官僚を監察・弾劾する機関。清廉な政治を保つ役目を担う。
- 刺史(しし):州の長官。監察や行政を兼務する。現代でいえば地方の知事クラス。
- 県令(けんれい):県の長官。実務を担う基礎的官職。
- 端拱(たんきょう):手を組んで静かに座る。政治が安定していて、為政者が積極的に動かずとも治まっている様子。
- 二千石(にせんせき):地方官の俸給等級で高位を指す。
ありがとうございます。今回は『貞観政要』巻一「貞観十一年」に記録された、馬周(ばしゅう)による上疏と、それに対する太宗の応答です。この章句は、**「地方行政こそ国家統治の核心である」という明快な視座と、「優れた人材の登用ルート」**に関する実務的な洞察が融合したものです。
以下、ご指定の構成で丁寧に整理いたします。
題材章句:
『貞観政要』巻一「貞観十一年」──馬周の上疏と地方官人事に対する太宗の応答
1. 原文
貞觀十一年、侍御史馬周上疏曰、「治天下者以人爲本。欲令百姓安樂、惟在刺史・縣令。縣令職衆、不可皆賢。若每州得良刺史、則合境蘇息。天下刺史悉稱上意、則陛下可端拱巖廊之上、百姓不慮不安。自古郡守・縣令、皆妙簡賢德、欲有擢爲將相者、必先試以臨人。或從二千石入爲丞相・司徒・太尉者有之。朝廷必不可獨重近臣、而輕外刺史・縣令。今以百姓未安、殆由於此」。
太宗因謂侍臣曰、「刺史宜當自簡擇。縣令、詔京官五品已上、各舉一人」。
2. 書き下し文
貞観十一年、侍御史・馬周(ばしゅう)、上疏して曰く、
「天下を治むる者は、人を本とす。百姓を安楽ならしめんと欲すれば、それは刺史・県令にあるのみ。
県令は職務多くして、すべてを賢人とすることは難し。
されど、各州に良き刺史を得れば、その全域が安らぎを得ることができる。
もし天下の刺史がすべて陛下の意にかなうものであれば、陛下は高殿に安んじて政を執ることができ、民は不安を覚えることなくなる。
古来、郡守・県令の職は、すべて選び抜かれた賢者が就いてきた。
将相に抜擢されんと欲する者は、まず地方行政を以て試されたものである。
二千石の位(高級地方官)より入って丞相・司徒・太尉となった例もある。
朝廷において、ただ近臣を重くし、外任たる刺史・県令を軽んじてはならない。
今なお百姓が安んじられないのは、ほとんどこのゆえである」。
太宗、これによりて侍臣に謂いて曰く、
「刺史は朕(ちん)自ら簡擇すべし。県令については、京官五品以上の者に詔し、各々一人を推薦させよ」。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「貞観十一年、侍御史の馬周が上奏して言った」
- 「天下を治めるには、人がすべての基本である」
- 「民衆を安らかに暮らさせようとすれば、それは地方長官である刺史・県令の善し悪しにかかっている」
- 「県令は仕事が多岐にわたり、全員が賢者であるのは難しい」
- 「しかし各州に優れた刺史を一人配すれば、その管轄区域全体が落ち着き、安定する」
- 「もし全国の刺史が陛下の意にかなった人物であれば、陛下は中央の殿上に安んじて政を執ることができ、民も安心して暮らせる」
- 「古来、地方長官はみな徳と才能を兼ね備えた者が就いており、大臣に登用される際にはまず地方での実績を経るのが通例だった」
- 「高位の地方官から中央に移って丞相・司徒・太尉になった者も少なくない」
- 「朝廷は、近くに仕える家臣ばかり重視して、外任(地方)の刺史や県令を軽視してはならない」
- 「民が今なお安定しないのは、こうした偏りによるところが大きいのではないか」
- 「太宗はこれを聞き、側近にこう語った」
- 「刺史については、私自らが人選を行う」
- 「県令については、中央の官人で五品以上の者に命じ、それぞれ一人ずつ推薦させよ」
4. 用語解説
- 侍御史(じぎょし):皇帝に近侍し、諫言や奏上を行う高級監察官。
- 刺史(しし):州の長官。民政と軍事の両方を担う地方最高責任者。
- 県令(けんれい):県の長官。現在でいえば市町村長に近いポジション。
- 二千石(にせんこく):高級官僚の位。地方長官の上級格。
- 丞相・司徒・太尉:いずれも三公と呼ばれる中央政権の最上級職。
- 端拱巖廊(たんきょうがんろう):朝堂(中央政治の殿上)にて静かに政務を執る様子。
- 京官五品已上(けいかん ごほん いじょう):中央政府に属する官職で、五等官以上の高級官僚。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
馬周はこう上奏した──
「国家を治めるには、人材こそが最も重要です。民の生活が安定するかどうかは、刺史や県令の力量にかかっています。県令すべてに優秀な人を配するのは難しいが、州ごとに良き刺史を置けば、地域全体が安定します。
全国の刺史がしっかりしていれば、陛下は宮中で安心して政務を執れます。古来、地方官は優秀な人物が選ばれ、中央の要職につく前に地方で実績を積むのが常でした。
近侍の者ばかりを重用し、地方官を軽んじてはなりません。民が今なお落ち着かないのは、それが原因なのです」
これを受けて太宗は言った──
「刺史については、私自ら選ぶこととする。県令については、五品以上の京官に命じ、それぞれ一人ずつ推薦させよ」。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「現場の長(マネージャー)をいかに選ぶかが国家・組織の安定を決める」**という本質を突いています。
- 馬周は、トップダウンではなくミドルアップダウンの構造=地方官こそ国家の根幹であると強く訴えています。
- また、幹部登用の第一歩は「現場経験」であるべきという原則を再確認しており、これは人材育成における“現場修行”の重要性と一致します。
- 太宗も、刺史を自ら選び、県令は中央高官に推薦させることで責任ある人材登用の仕組み化を図っています。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
A. 現場の責任者を見誤れば、組織は動かない
- 地方長官=支社長・部門長にあたる人物の適否が、地域やチームの士気・業績を左右する。
B. 幹部登用は“現場経験”から始めよ
- 馬周の「まず地方で試してから登用すべき」という主張は、現代のマネージャー候補にOJTや拠点経験を課すべき理由に通じる。
C. リーダーは推薦制度を使い“人を見る目”を育てよ
- 太宗の「五品官に推薦させる」仕組みは、現代で言えば「中間管理職に次期リーダー候補を推薦させる制度」。
責任を持って後継人材を育てさせる仕掛けとなる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「国は現場で治まり、人は現場で鍛えられる──任すべきは、民を養える人」
この章句は、組織運営の中核を「現場」と捉え、その現場の人材配置が全体の安定に直結するという、現代的視点にも極めて通じる内容です。
コメント